キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

黒澤明

黒澤明「まあだだよ」(1993)最高傑作、荘厳な人の生死と喜びと美しき天界の調べとユーモアと

黒澤明、傑作「まあだだよ」を初めて観たきっかけは忘れた。もう10回近く観てしまったかもしれない。列島の民の文化を美しく描いて楽しく、人生の深みを湛えている。このような映画があるということをわたしは知らずに生きていたのだった。全く期待していなかったのに、感動で終わった体験は、終わらずに、何度も繰り返し現れて、わたしを支えてきた。

まあだだよ

公開された1993年は、黒澤明83歳。己の命をよく生き、高いところまでたどり着いた男の光が溢れる傑作である。しかし、今回観たのが一番良かった。なぜなら、わたしは黒澤明全30作品を観て、「まあだだよ」に辿り着くまでの流れを理解したからである。黒澤明の魂の響きが、全作品に通底する音色が、オーケストラとなってひしひしと「まあだだよ」から響いてくるではないか。ラストの美しい雲、その豊かな色に、感涙せずにはいられない。黒澤明という男は、この映画公開から5年後、88歳で人の生を終えて、純粋な魂となって夜の一部になった。最後まで、脚本を書き続けた「雨あがる」は黒澤明死後、スタッフたちによって映画となる。その映画は、まぎれもない黒澤映画で、わたしが愛好する作品となっている。謙虚なのに、組織に馴染まない、それはあまりにも強い剣の腕を持つために点々としてきた浪人を主人公とするもので、「これほどの腕を持ちながら花を咲かせられない男」を傍らに支える女がいるのだった。「雨あがる」は、いわゆる三十郎もの「用心棒」(1961)と「椿三十郎」(1962)の子供であり、それは「どん底」(1957)「赤ひげ」(1965)「どですかでん」(1970)で描かれた貧しい民を描きながら、英雄を理解する殿様が現れて、家来たちは、彼を連れ戻そうと追うのだった。「椿三十郎」では、三十郎を慕う若侍たちは、彼を追うことは出来なかった。「赤ひげ」では、魂の医者のもとに若い男は残ることが出来た。「雨あがる」では英雄は去らなければならないかに思えたが、連れ戻すべく馬が走るのだ。しかし、それは少しだけ間に合わなかった。もういいかい?まあだだよ。もういいかい?もういいよ。と黒澤明は去っていった。「雨あがる」は、日本の武道の美しさと清さ、その智を語らずに描いて、それは彼の初監督作品「姿三四郎」を思い起こさせる。

黒澤明、まあだだよ

黒澤明は、幼い頃、泣き虫で、何を考えているのかぽかんとしていて、馬鹿にされていたが、絵を先生に褒められ、剣道をするようになってから自信を持つようになったと言う。霧が晴れて、彼の個性が明らかになり、それから黒澤明は、日と月という自らの名前に与えられた明かりを生きた。「まあだだよ」の先生は、孫たちに向かって言う。「皆さん、好きなものを見つけてください。そして、それのために努力をしてください」孫のひとりとして、わたしもあなたのように生きましょう、と毎回おもうのだ。「方丈記」が読まれるくだり、猫探しに懸命になる先生、皆で畳に置いたビールと鍋をつつく場面、月の歌、仰げば尊し、大黒様の歌、床に伏した先生の隣の間で、日本酒をコップに注いで呑む教え子たちの笑い、夢の中で藁に隠れる少年、そして、オーロラのような、それ以上の、天に溢れる美しい色をした雲の流れ、ヴァイオリンが天界の音を奏でて、その指揮者の名前が、黒澤明と出てくるまで、かすむ視界を、目を擦って保つのだ。人の生と死は、かくも荘厳で、美しくすばらしいものなのだと感激し、この映画なしではもはや生きていけない。どんな日であっても、この映画を観ながら、先生と共に、こちら側でも日本酒をおちょこに注ぎながら、ハイテンション、しあわせに満ちてくる。世界と人間について、鋭い視線で表現してきた芸術家の最後を締めくくるにふさわしい、人の明かりを描いた傑作である。円熟すればするほど、この映画は、深さを増す。人の生を生きれば生きるほど、この映画の凄みがわかってくる。表面はさらさらして愉快に描かれるが、このような映画は撮れない。命をかけている男にしか撮れない。そういう崇高さ、神聖な光が宿っている。わたしの家の文化として、正月には「まあだだよ」を観ることにしよう。生きることを新たにするような傑作映画と共に、黒澤明の光と共に、新しい年を始めるのだ。

-黒澤明