キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

黒澤明

黒澤明「虎の尾を踏む男達」(1945)義経と弁慶の主従愛。日本文化基底の普遍的元型は、能から歌舞伎、「もののけ姫」まで。

2016/08/22

黒澤明「虎の尾を踏む男達」は1945年に制作され、検閲の問題で、公開されたのは1952年である。黒澤明監督の初時代劇であったと思われるが、大きな刺激を受けた。黒澤明の全30作品のもはや8割を観てしまったのだが、観れば観るほど学ぶことが多い、面白い。そして、撮れば撮るほど映画が良くなり、あの晩年の美しい映画群に帰結していったのだということがわかってくる。

能と歌舞伎と「虎の尾を踏む男達」から「もののけ姫」まで

「虎の尾を踏む男達」は、義経と弁慶が奥州藤原氏を頼り、衣川へと向かう旅路で関所を超える場面を描く。この関所越えは、いずれよりポップになり「隠し砦の三悪人」で再度描かれることになる。このお話は、能の「安宅」に始まり、それを下敷きとした歌舞伎「勧進帳」が成り、それを更に下敷きにした「虎の尾を踏む男達」なのだが、弁慶役の俳優が、とてつもなく良い。わたしは、この映画を観た後、この歌舞伎なのか、能なのか、とにかくこの弁慶の話し方を真似して、河原で喚いたほどである。能や歌舞伎は、残念ながらわたしは体験したことがない。黒澤明映画のおかげで、能と歌舞伎に対する興味が強くなっているので、そのような機会も今後訪れると思う。ところで、この弁慶役の俳優は、大河内 傳次郎(おおこうち でんじろう)という名前で、何と黒澤映画では「姿三四郎」にも「わが青春に悔いなし」にも出演している。気付かなかったほどに、この弁慶の迫力が異様なのである。関所で武将の問いに答える姿の勇猛さ、力強さ、迫力ある人間の姿を体現していて、全く素晴らしい。構成的には、歌舞伎をそのまま拝借しているものと思われるが、そこにエノケンとして有名な喜劇俳優を配していて、このエノケンの徹底したトリックスターぶりには「七人の侍」の菊千代を想起させるものがあった。人を笑わせるような喋りと身振りが板についた男で、わたしは初めてエノケンなるものを目にしたのだが、まあ面白い。このトリックスターと英雄弁慶と、この二人の人物を観るだけでも、楽しかった。また、この物語が、源義経について考える機会となったことも嬉しい。そして、おそらく歌舞伎や能に、わたしを感動させる何かがあるだろうことが示唆され、個人的に、おそらく能のような話し方を河原で徹底していたのだが、あの怨念のような話し方がたまらない。話していてグッとくる。でかい声を出して、本気で乗り移ったつもりでやった体感を振り返ると、あれは本来死者が憑依して話しているようなところに起源があるのではないかと感じた。というよりも、お芝居や物語とは、本来そういうものなのかもしれない。民の深層意識に抑圧された無意識とは、表意識に対して死んでいるものを意味する。そうした死者を掘り起こし、影を光につなげることが表現の意味するところだとすれば、当たり前のことかもしれないが。祟り神が、能の舞台の隅から、相撲と同じように観客の傍から静かに現れ、やがて成仏し、聖なる神となるのを描く物語構造が能だと思うが、古代から日本人は、滅びた側を祀って祟りを鎮めようとする。それは、熊や猪が与えてくれる肉に感謝して、縄文人が、イオマンテの儀式を行い、熊や猪の霊を天に送り返す文化に通じていることだろう。宮崎駿の「もののけ姫」では、猪がタタリ神になってしまう。肉を頂いて感謝の念で天に送り返す儀式をしていた縄文人の高い精神文化に対して、無益に猪を鉄砲で撃って食べもしない感謝もしない、ということでは、猪もタタリ神にもなろう。動物を頂く以上、天に送り返す儀式をしなければならない。誠に高い精神文化の現れであり、せめて「頂きます」と手を合わせなければ、全くすまないことだと思う。

虎の尾を踏む男達参考画像

虎の尾を踏む義経と弁慶

源義経と弁慶というのは、一体何のお話なのだろうか。源義経は、平安時代末期の武将であり、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟である。平氏と源氏の戦いにおいて武勲を立て、平氏を滅ぼした一番の立役者である。しかし、兄と確執が生じて、全国指名手配となり、居場所がなくなるのである。「平家物語」に曰く、諸行無常の鐘の音であろうか、驕れる者も久しからず、ただ春の世の夢のごとしであろうか。松尾芭蕉が詠むごとく、兵どもが夢の跡であろうか。義経と弁慶一行は、山伏の姿に身を隠して、関所越えをするのである。赴くは東北、奥州藤原氏の平泉、衣川である。(わたしは衣川の地で約四年暮らしたことがある)義経は、関所を超えて、衣川の地に匿われる。しかし、藤原清衡が亡き後、継いだ藤原泰衡に対して源頼朝は圧力をかけ、弟である義経の首を差し出すように言う。泰衡は悩んだことだろう。しかし「義経の指示を仰げ」との父親の遺言に反し、わずか十人程度の部下と共に衣川館に居る義経を、泰衡は五百の兵でもって包囲する。義経は妻子と共に自害、その首はアルコールに浸されて朝廷に差し出される。享年三十一歳。藤原泰衡は、義経と通じていたとして三弟を殺害、そして結局は、源頼朝によって滅ぼされる。一体なんだろうかこれは。哀れ、諸行無常の響きの前では、人間の運命は散る花のごとしであろうか。親族同士による権力争い、という人類普遍の元型をここに見てとることもできる。わたしたちの身近にこのようなことは今も起こっているだろう。そして、黒澤明映画では「影武者」で武田信玄の死後、その死を三年秘し動くなとの父の遺言を破った息子が、一族を滅びの道に向かわせる物語構造と全く同じであることも注目に値する。義経の栄光と無残な死は、その後、義経伝説となり、物語が書かれ、能が演じられ、歌舞伎、そして「虎の尾を踏む男達」として、今、わたしの眼前にある。この英雄の輝かしい実績と凄惨な死が伝説となっていく流れは、聖徳太子が日本建国の中心となり、文化を建設し、その後謎の死を遂げ、やがてその一族が蘇我入鹿によって包囲され、自害した流れとあまりにも似ている。それは民に長年に渡って語り継がれる伝説となっていく点も同形である。栄光と滅びを体現した英雄を祀り、その魂を鎮め、天に送り返そうとする、この列島で一万年続いた縄文文化が、わたしたちの深層にあり、脈々と続いてきたということなのだろう。魂を祀り、鎮め、天に送り返す、これが日本文化基底の普遍的元型であるとわたしは理解した。物語とは、全てこれに帰結しなければ列島の先祖に申し訳が立たないものと理解した。弁慶と義経は、関所を超えていく。その先には衣川がある。疎外されたものの哀れ、彼らに待ち受ける運命の悲劇、主従の美しい心の交流、栄光と滅び、人々の心を捉えて離さない伝説には、この列島の魂が刻まれているようである。

無料で借り放題!TSUTAYAの宅配レンタルと動画見放題

-黒澤明