キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

コトバの塔

渦巻く空間に倒れた経験(二十歳の意識更新式)

二十歳の頃、わたしは大学生で、カラオケ店でのアルバイトを中心とした生活をしていた。大学は、教育的な意味では腐敗しており、直前に教科書をひっくり返せば、単位を取れるレベルでしかなかった。テストの一週間前に情報を集め、徹夜すれば取れるような単位の為に、その講義の為に、大学に行くという選択肢は、自然に消えていった。テレビゲームの攻略よりも簡単なレベルで、共同アパートの多くの同級生が、難度の高いゲームの方に惹かれてひきこもっていった。大学生活は、退屈であり、好奇心や勉学心を刺激するものではなかった。それは堕落したシステムだった。誤った道に来たのだと三か月後に気付き、しかし、郷里を離れられたことに喜んでいたわたしは、それで十分満足していた。学生生活の代わりに、夕方から深夜までのアルバイトが、新しい生活体験をもたらした。そこには高校を卒業後、金髪で働く女の子たちがいた。店長を務める25歳の赤い髪をした面白い男がいたし、オーナーと店長と知り合いの大工がいて、なぜか彼は仕事帰りに店に寄り、お菓子を食べたり、酒を飲んだりした。彼は二十七歳くらいだったと記憶する。そのカラオケ店は、ここには書けない筋のひとが経営しており、本格的なお酒とフードを出す店で、現在のよくあるカラオケチェーン店と比べると、その各個室は、水商売のお店を思わせた。経営者はたまにしか顔を出さず、店長とわたしたちは、お店のお酒を呑み、フードを食べ、朝方までカラオケをした。遊びのついでに仕事をしているようなもので、店を閉めると、皆でボーリングに行ったり、ラーメンを食べに行ったり、カラオケをしたり、酒を呑んだりした。朝方に帰宅することがほとんどだった。わたしは、大工の男に気に入られ、彼のジープに乗せられて、色々な所に行ったのを覚えている。彼に誘われると、わたしは大体断ったが、無理やりに誘ってくるので、(例えばアパートで寝ているわたしの布団にもぐりこんでくる、鍵を開けたままわたしは寝ていたのだ)最後には大笑いになって、仕方なく、彼のジープに乗り、わたしはいつも助手席で寝ていた。年上の人に対して、当時のわたしは一切気を遣っておらず、正直なままで、二人きりなのに自ら喋ろうともしないのだが、彼はわたしを気に入っているのだった。四国にある実家が建設会社をしており、彼はいずれその会社を継ぐらしかった。ある居酒屋で店長をしていたのだが、客の紹介で、数年前に大工に転身していた。愛想が良く、明るく話題に富み、美男子ではなかったが、男らしくて、女性にもてるようだった。現実的で堅実な部分を持ち合わせていて、煙草を吸うのにも、一本を大事に吸い、ラーメン屋で皆がトッピングしたり大盛りにしたり餃子をつけたりしても、彼は、必ず並だけを注文する。お酒は飲み過ぎず、カルーアミルクを数杯飲む程度、あぶらを売っていると彼女に怒られるらしく、「あかん、帰らなあかん」と彼女からの電話やメールに焦って帰っていく、帰り際に店のポテトチップスをこっそり拝借していくことも忘れない。彼が新車のジープを買ったとき、わたしは、どこかの荒れた道に同乗して、わざわざワイルドな道を走って喜ぶ彼の横で、揺れる車内で、頭を天井にぶつけないように注意しなければならなかった。

今では、店の前にはロープが張られ、わたしたちの青春の居場所は、草に覆われた廃墟となっている。このときの思い出を書こうとすれば長くなるので省くが、わたしはこのカラオケ店「ブルートレイン」で、あるとき、突然倒れて、大工に付き添われて救急車に乗り、病院に搬送された。夕方に出勤して、ご飯を食べ、お茶でも飲みながら、わたしは漫画か雑誌を読んでいたのを覚えている。受付の前には、金髪の女の子が座り、いつものメンバーが、時間をそれぞれ好きに過ごしていた。食べたり、話したり、音楽に乗ったり、漫画を読んだり、とにかく好きに過ごしていた。そのとき、突然、目の前の空間が回転し出す。周囲の空間がサイクロンのように回転して、これまで物を物として、人を人として確たる感じで、そこに確かに在る感じでわたしの意識が把握していたのが、一気に壊れて、それは遠く、わたしの意識で掴み切れない流動体に変化し、わたしは、その嵐の回転に吹き飛ばされそうになる。「うわー」とわたしは声を出して、手で顔を抑えたらしい。後で聞くと、何か大げさな冗談が始まったと女の子は思ったと言う。わたしにとっては冗談でも何でもなく、つかまることのできる現実がなく、圧倒的なサイクロンの渦の中で、すべてがつかめない、と感じていた。回転する空間の中で、なにひとつ、確固たるものがなく、わたしは吹き飛ばされていたのだ。めまいや立ちくらみとは、明らかに程度が異なり、それは、いつものようには空間が空間として認識出来ないという感じなのだった。ふらっとするとか、くらっとするとかではなく、ぐわーと全てが回転しているのだ。回転というよりも、現実が完全につかめない異質なものとなっていく感じだった。わたしは、救急車で病院に搬送され、点滴を打たれ、看護師に、「無理をするとそれは何らかの形で必ず現れるのよ」と言われ、自律神経の失調ということになった。わたしは、この体験に驚き、何らかの説明を欲していた。救急車に寝ているときには、既に運ばれる必要はなく、このサイクロン体験へのショックで、何が起こったのかと恐れていただけだったのだと今はわかる。つまり救急車は不要で、わたしの短い間の意識体験への恐怖がわたしを倒れさせていたのだと思う。実際、そのあと、ぴんぴんしていたし、自律神経の失調と名付けられたことで、安堵を得て、まったくの健康であった。同時に問いが残った。そのあと、わたしは、このように、意識のめまいを起こすことはなかった。そのときも看護師の言う「無理」について考えたことを覚えているが、わたしは思い当たる無理などしておらず、神経の失調にしては、あまりにも早く治ってしまって、その後、そういうことは一度もなかった。記憶に強く焼き付いているほどに、それは圧倒的な嵐の体験だった。現在の一般で考えるのならば、めまいが生じた、とこれでいいかもしれない。現在のわたしが、この意識体験を、夢と同様に解釈するのならば、全く異なる見方が出来る。当時、わたしは自らの無意識や夢との関わりが薄く、良い意味でも悪い意味でも、こじんまりとした個体であり、自分自身についてわかっておらず、今と比べるとはるかに未熟な意識レベルに留まっていた。何が起こっているかを全体的に把握し、文章に書くということすら、わたしには出来ない相談だった。わたしが心身レベルで体感した嵐は、わたしが感得した現実のある相だったのだと捉えることが出来る。それは、ぼーっとしたときに、深層から浮き上がってきて、そのイメージはわたしを圧倒し、ひれ伏せさせた。このブルートレインには、多くの者が訪れて、それはバイト仲間の恋人だったり、知り会いだったりしたが、そのような交流の中で、「おまえは、たのしいときも、かなしいときも、いつも一緒の顔だな」と言われたことを強く覚えている。そこには、非難の声も含まれているようだった。それはわたしにとっては驚きだった。非難されたらしい雰囲気のことではなく、わたしがいつも同じ顔をしているらしい、という事実が驚きだった。そこには、ある種の完成があったのだと思う。それは二十歳の男が抱えたこじんまりとした完成だったに違いない。それは小さいながらも到達ではあり、それを自ら崩そうなどとは思ってもいなかった。そして、その完成は、粉々に崩壊しなければならなかった。その状態にとどまることを許さないような嵐が、激烈な意識体験として生じた。もし、このようなサイクロンに出会わなかったら、事故か病気のかたちで経験していたのかもしれない。自律神経の失調と診断されるような体験が、それだったのだから同じことだが。書物によると、古代から、人間はイニシエーションの儀式を行っていた。例えば、青年から成人になるときとか、人間が自らの意識体系を変容させるときに助けとなるような智慧として構造化されたもので、例えば、バンジージャンプであるとか、本当に死ぬかもしれないような経験をして、それを乗り越えた後、彼らは、「大人になった」別の存在になったと告げられるのだった。人間が自らの段階、立場を変えるということは大変なことで、それを助けるような智慧を古人たちはよく理解していた。それらの深い意味がわからなくなり、野蛮だとして退けられてから、人々は、自らの意識を更新するに際して、自らイニシエーションの儀式を準備しなければならなくなった。わたしが体験したサイクロンが、これに相当していることにわたしは気付く。この嵐こそ、わたしの成人式であったことを、驚きを持ってわたしは眺める。それは自然に起こった。わたしの中の深みが、これを準備した。このような意識体験が、環境や個体によって強度や頻度が高く、個体がそれに押しつぶされた場合、親身についていてくれる大工に欠くような場合、精神病として定義されるのが現在の一般であると思う。人類にとって重要な才能を持つ者が、薬漬けになっている可能性は十分にある。

現代では、青年から大人、大人から親、親から老年という役割段階のみに留まらず、様々な役割、意識の更新が必要になる場面があり、例えば、別の職種に転職するというときに、その者は、自らの意識体系が通用しない現実で、苦痛を伴って、その意識体系を崩壊させ、新しい意識を創造しなければならない。それは、死の体験でもあり、多くの経験を積んだ年配の者でさえ、新しい世界を極度に恐れる。ある会社で重役を務めた者でさえ、新しい職種の新しい役割に、ひどく怯える姿をわたしは何度となく目にしてきた。変容すること、変化することが恐怖となる。それは、これまでの意識体系が粉々になり、新しい体系を創造するということへの恐れなのだ。もちろんそれは、部長であるとか、課長であるとかいう肩書が、単に狭い世界での肩書でしかない、という風に意識体系に入れることが出来なかったからこそ、他の場で、平社員になったり、アルバイトになったりすることに脅威を感じる、耐えられない意識体系となっているのであり、それは更新するに値する小さな輪の中にいることを示すものでもあるだろう。わたしの成人式がこのようにやってきた背景を思うと、ひとつの出来事が思い浮かぶ、それは小さな輪のわたしが粉々に打ち砕かれた体験でもある。しかし、当時のわたしにとって、意識的にはそれは終わったことになっていた。そのような意味を持つことにさえ、少しも思い当たっていなかった。それは簡単な話で、当時金髪の女の子たちがブルートレインにいて、わたしたちは仲間意識や友愛を感じ合っていた。そしてあるとき、彼女たちが、ビニール袋に入った液体を手に、それを吸い込んでいるのを目にしたとき、(彼女たちがシンナーを吸引している!)わたしがそれに対して説得しようとしたことに端を発する。もちろん何事も、善悪というものは、人間が決めているにすぎない。大麻が合法な地域もあれば、違法な地域もある。キスが挨拶な国もあれば、挨拶代わりのキスをすると痴漢となる国もある。未熟なわたしは、シンナーを吸っているということは、悪だと断定し、彼女たちをそこから救い出そうと思った。そして、そのために、心を込めて彼女たちに語りかけたのである。そして、その言葉は、全く彼女たちの心に響かなかった。わたしが正しいと思う事、彼女たちにとって良いとわたしが信じることは、彼女たちの心に全く響かない。わたしはそれに愕然とした。心を込めた言葉がまったく通じない。今思えば、彼女たちには、彼女たちの文脈があり、わたしは警官ではなく裁判官でもなく、ただのアルバイトをしている大学生であり、彼女たちは快楽原則に従い、好きな事を好きなようにしているだけであり、わたしに何かを言われること自体が、ハテナなのである。また、そのような権限と責任をわたしは持たない。そして、彼女たちに方向性を示すほどの影響力と人格を持たなかったということでもある。二十歳までに確立した意識体系の完成、その輪は、ここで完全に揺らいだのだと今ならわかる。わたしにとって良いと思うことが、他人に全く伝わらない。わたしの言葉がまったく相手に通じていないのを感じる。それは未熟なわたしにとって、強烈なショックだった。今では当たり前のことなのだが。親密なグループに所属する、同一化するという幻想がそのとき崩壊したのかもしれない。以後、わたしはどのようなグループや組織にも、このブルートレインの時のように所属したことはない。そのときの落ち込みをわたしは覚えている。そしていつか、あっさりとそのことはなかったかのように、日常が戻ってきた。そうして、あのサイクロンが起こったのだ。わたしが意識しない、意識出来ない時でも深層はずっと動いてきて、あのような成人式が起こり、間もなく、わたしは、仲間たちのいるブルートレインを永遠に去った。この店で取得できる限りの単位を取得して、卒業したのだ。

 

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