キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

コトバの塔

文化の創造(世界観を創造する言語芸術)

2016/07/08

文化とは枠である、父性原理の発現したものである。向こうからやってきて絡みつき、しがみつくような制度やルールとは異なる。それは母性原理に基づく、蛇が巻きつくような、縛りである。それは自由や個性を許さない、膝元から離れることを許さない。

文化創造

父性原理に基づく壁、枠、容器、あるいは制限とは、自ずと生じている世界観を担っている。それは一見して見えない。衝動的に突き進んだとき、確かな壁として感じられる。壁は自ら制限を押し付けはしない。制限であることさえ普段は気付かない。世界が、この壁の範囲内に限定されていると気付かないまま、世界を問うことなく、世界内で生活するために壁は必要である。壁を担っている者は、影を背負っている者である。壁はまた、指標である。模範を示す者である。

 

本能的衝動がそのまま発現するのを防ぐために、壁や枠が必要になる。そして、壁がなければ、人々は何をして良いのかわからず、不幸になる。それは意識獲得以前の、暗闇の世界、黄泉の国へと足を踏み入れることと同義である。

 

神話の中では、黄泉の国では、神々が殺し合いをし、あらゆる残酷が行われる。心的現実の発現した一種の容器である。それは我々の中にある悪であり、同時に生命であり、抹殺することは死を意味するため、共存を図る他ないものである。神話の中では、それが行われる。物語の中で、それは行われる。我々は本を閉じることができる。儀式で生け贄が捧げられる。我々は儀式を終えることができる。ワイドショーで人が血祭りにされ、我々はテレビを消すことができる。動物的衝動を投影するために、我々は文化を必要とする。馬の衝動をコントロールする為に、それは必要である。

 

遊びは、全て文化である。動物的衝動を、心的エネルギーを、健康に流すための容器である。枠がなければ、サッカーボールを手で扱い、ボールを独り占めにし、気に入らなければ審判を殴りつけることが可能になる。スポーツのルールを含むが同義ではない。枠が共有されてこそ、世界観が生じ、エネルギーが流れる。信頼、幸福論、人生観、社会活動、これらは全て文化である。世界観を構成している、見えない制限である。制限であることに気付かれないまま、人々が世界に没入して暮らすために、必要不可欠な壁である、模範である。試合中に、サッカーという形式に不満を言う選手はいない。試合中に、サッカーそのものは問われない。ルールに文句を言うことがあっても、その前提は問われない。問う必要のない生命活動の発現の中にいる。同じ世界観を当たり前のように共有して疑わない、幸福の中にいる。サッカーという競技を構成する世界観という有限の中で、無限の活動が許容される。

 

自立する為には、象徴的母親殺しを必要とする。それは内的現実で行われるべきである。それが自ずと、外的現実での、母親からの必要程度の自立となり、会社からの必要程度の自立となる、そして自身の内面における母性原理からの必要程度の自立を意味する。この象徴的母性殺しと実際の母親を同一視すると破壊的に働く。衝動を投影する文化がいる。

 

我々は、「現実」を見ることができない。我々が見ているのは、象徴である。象徴は全て、コトバでできている。世界は言語でできている。コトバで世界を見ている。言語芸術は、世界観である。衝動を入れる容器であり、倫理、指標、模範、制限であり、光と影である。象徴的父親殺しは、一部の者にしかできない困難な道である。それは文化を殺害した者である。教えを請うべき父親なるものを内外で失ったものである。新たな創造を行う必要を課せられた、新たな父親となるものである。犯罪者、精神病者、詩人、芸術家、科学者、精神的危機にある者。彼等は現今の壁を突き破り、世界の外に立った。剥き出しの木が、世界そのものの姿が彼に眩暈を起こす。古い壁は、信じることはできなくなり、新たな世界観を創造するか、世界の外の危険にさらされるか、二者択一の道に足を踏み入れている。別の惑星に立ったかのように、彼の現実は、他者に伝わらなくなる。彼は「現実」を見てしまった。そのために、彼は、新たな言葉を必要とする。表現を必要とする。文化を創造する道に否応なく投げ込まれる。世界観が古びて、壁を失うと、人々は不幸に陥る。模範を失い、孤独な道を行く個人は、影を背負い、新たな世界観を創造し、あるいは更新し、崖下に広がる世界の果て、荒野の前に立ちふさがり、そこを通さない。荒野の先には黄泉があり、一般に、それに耐えられるほどの意識を人は与えられていない。彼は言語によって世界を創り、人々が荒野に入り込まぬよう塔の上から監視する門番である。自然の気まぐれが、彼を選び、使役する。文化を担う役割、信じるに値する新たなサンタクロースを創造する道、その荒野が彼の「現実」である。

-コトバの塔