キクチ・ヒサシ

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日本文化

三宅洋平、憲法フェス@大阪(2016.9.11)yesとnoを超えて、大文字のYESの円環。

2016/08/28

三宅洋平の憲法フェスなるものが大阪で9月11日に予定されている。三宅洋平の選挙フェスが起こったのは、2013年だったと思う。彼が選挙の舞台に出てきたとき、大きな感銘を受けた。一体それは何だったのかと思うと、1978年生れの同級生であり、ミュージシャンである、彼の発言が、わたしたちを代弁したことの衝撃だった。

憲法フェスの前に、三宅洋平選挙フェスについて

三宅洋平の考えの背景をわたしたちは理解することが出来た。無双原理、音楽が示唆する身体智、地球意識、科学文明と大地の共生、アイヌ文化が示唆する循環可能な社会への意図。それは感動的な祭りだった。わたしたちの深層にあるものを取り出して、それを表現する男がいたのだ。それを、わたしは、芸術だと思った。彼の仲間たちが奏でる音楽とリズムとトーンをバックに、マイクを握った男が語った。あまりにもまっとうで、ピュアで、わたしたちの思うままであった。わたしはこのとき、「選挙」という形式に命を吹き込もうとした男の姿を見た。そして、自分がおかしいのか、どうもへんだ、というある種の鬱屈、孤独に対しての優しい調べとなってわたしたちを浄化したのだった。「選挙」に期待できるようなものではなかった、それはフェスだった。そして、祭りとは、日常で抑圧された深層を解放する。三宅洋平が言うように、古代の酋長は、踊りと音楽によって、人々の模範となったのだった。緊張を開放するのが、酋長の役目であり、その意味では、大地を代表する霊が、彼に乗り移って語っているかのようなのだった。それは、列島文化の基底に連なっていた。梅原猛が言うような弥生以前の縄文文化につながっていた。それは「もののけ姫」で猪や犬の神が、言葉をしゃべるのと同様のことだった。岡倉天心の西洋科学文明一辺倒への警鐘の言葉や、内発文明ではない為、神経衰弱となると語った夏目漱石の言葉さえ思い起こさせた。村上春樹が書いた「かえるくん、東京を救う」で、かえるくんが地の底でみみずの化け物と戦った物語が示唆することと似ていた。黒澤明が「生きものの記録」や「夢」で描いたことに連なっていた、死者が現れて語り出す「能」と同種のことだった。鈴木大拙が言うように、わたしたちは、この大地の精霊なのだ、この土と水から生まれてきたのだ。それを汚すな、と大地は、わたしたちの誰かを借りて、語りかけてくるのだった。それは原爆によって滅んだ人々の声だった。それは卑弥呼というシャーマンによるマツリゴト(政、祀りごと、祭りごと)が、三宅洋平を媒体に、再び蘇ったかのようにさえ見える一大事件だった。後の天才文学者がこの時代の歴史に着手したとき、それは良心的に扱われて、ページを埋めるに違いなかった。「政治」や「選挙」が狭いものとなった時代、天災と人災による社会迷走の中で、それを超える方向性を示唆し、民に目覚めを促した、と。東北震災後の電気節約の暗い街を経験した東京に、日本中に、永代常夜燈と先祖の祈りに、火を灯した、と。もはやありえないと思っていたことが、本当に起こったのだった。ユングが言うようにイメージとは世界の半分であり、イメージとは古くは魂の意味である。心の豊かさが叫ばれるが、それはイメージの豊かさであり、それこそが、全ての形を創る源であり、三宅洋平の選挙フェスは、目に見えにくいイメージの舞台に影響を強く与えた。多くの人間のこれまた目に見えにくい心というもの、目を閉じてよく見えるようなものに影響を与えたのだ。

同時に、これほどの理想を体現し、媒体として多くの投影を受けてしまった三宅洋平個人のことがわたしは心配であった。彼個人に全ての責任を押し付ける風潮になりはしまいかと危惧した。それは彼個人を超えた「他力」が生じたことを、慎重に観察し、わたしたちひとりひとりが、心の深層を見つめることによって、養うべき種類のものに見えた。もう充分、わたしたちは受け取った。少し休んでほしいとさえ思ったのだった。わたしが感じていたことは、他の人間の中にも同じように響いている。これだけでも、大いなる勇気をもらったのだ。

三宅洋平の言う「対話」、憲法フェスの意義。yesとnoに橋を架ける大文字のYES

三宅洋平は、選挙フェスにおいて、「対話」について強く訴えた。科学は物質を操作し、効果を再現出来る。それは、物事を分割することを鋭利にしていったものである。同時に、人間の心と呼ばれるものには、科学原理が通用しないことが明らかになってきた。それによって、深層心理学が発展し、臨床の意味が深まった。それは、分裂に橋を渡す試みと言えた。それは個人に置いては、強くなりすぎた思考と抑圧されがちな感情に関係をつけることであり、頭と身体につながりをつけることであり、意識と無意識に経路をつけることだった。分裂すればするほど、そこに橋を渡すことが出来なければ、その反動は強くなり、危険となる。その為に、大いなる祭りがあり、その非日常が、日常の抑圧部分を開放していたのだと思う。そのような個人の心のメカニズムは、そのまま集合における心理メカニズムの縮図となっている。ここに東洋の曼荼羅的、星座的に物事を視るコスモロジー、コンステレーションが活きてくる。西洋の思想家が東洋の再評価を始めたことには、明白な理由があったのだ。隣の敷地との境界線、わたし側とあなた側の線、これによって愚かでありながらも気持ちもわかる必死な戦いが行われている例をわたしたちは、テレビなどで目にする。このとき、このまま、これが拡大したものが、地域紛争であり、国家の争いであることがわかってくる。それは、全く同じメカニズムを持っていた。それは東西冷戦の壁に象徴されていた。わたしとあなた、天と地、右と左、北と南、男と女、火と水、それらは、相反する二つの組み合わせとなり、その合理思考の刃は、諸刃となり、矛盾と葛藤を生み出す。いい人と悪い人、あれをしては良い、これをしては悪い、わたしたちは、この二元に挟まれて、息苦しさを感じる。合理思考は、完全なものではなく、このような分裂を個人に負わせる。壁をつくってしまう。身内であれば問題ない、しかし敵と思うと身体が固くなる。壁が出来る。東洋では、このような二元を超えて、一元に至る悟りが説かれていた。しかし、それは多く密教的で、一般にはわかりにくいものに思われた。この星には、昼と夜があり、それらは対立せずに、廻っていること、それらは一体のものであり、矛盾と葛藤を負っていないことは注目に値した。光と影は、一体のものだった。yesは、noの影であり、noの影がyesなのだった。一体のものを二つに分けた以上、それらは引き合い、合流しようとする。合理思考は、二つに分けた一つのポジションに固定しようとすることがある。わたしは北がいい、南はないよ、と言う。そして、その者は、徹底して北に行こうとする。するとどうだろう、北に向かい続けた、北に固執し続けた結果、ぐるりと回って南に出てくる。一体これは何なのか。平和を主張するうちに戦闘的になっていく集団、善を掲げた団体が次第に悪の腐敗臭を漂わせる例、意識を向かわせる場所がいくつもあると視野が広がり余裕が現れ、ひとつに意識を尖らせると視野が狭くなる人間の心。二つに分けて、どちらを選ぶということには、限界があるのではないか、それは、元々一体のものなのではないか、分けすぎて分裂すると、お互いの影を相手に視て、その投影が、馬鹿馬鹿しい争いの形となり、長い目で見ればそれは統一への動きなのだとしたら、他の形式が可能なのではないか。個人において、投影を引き戻すことが出来れば意識が拡大するように、精神と身体という分裂が心身症となって補償されるように、河合隼雄が「影の現象学」で書くように、東洋がその影を西洋に視て、西洋がその影を東洋に視て、それらの投影を解消できないとき、それが投げかけた影であり、イメージであるということの認識が足りないとき、それらは、強い接触によって補償される。それが世界大戦に現れていないか。宗教や信仰の本来的な意味、そのイメージと魂に関する叡智を捨て去ったとき、馬鹿馬鹿しいことが起きたのではないか。そうであれば、全ての分裂と壁は危険である。そこに橋を渡すことが出来ないとき、この星の引力は強制的にそれらを一つに包含しようとする。引っ張り合ったゴムが、強度を超えて、ひとつに戻る力が最大になり、その右の端と左の端は、破壊的に強く接触することになる。強制的に光と影が一体となる。ニーチェが言うように、上に投げた石は下に落ちてくる。上に吹き上げた水はいずれ下に落ちて流れていく、低い方へ。人間も自然界の一部である以上、自然法則から外れることは出来ないのではないか。むしろ自然と共にあるような姿勢が大事なのではないか。それは親鸞が言ったような自然法爾にもつながってくるのではないか。合理思考は、全てを明確にする為に、そこから切り捨てて零れ落ちるものが出てくる。イメージは、曖昧だが、物語ることによって、零れ落ちるものを包含してひとつにする。yesとnoのどちらか一方という在り方は、分裂となり壁をつくる。その分裂に橋をわたし、その二つの組み合わせ、二律背反を超えて、ひとつの大文字のYESとなるには、対話という通路、橋をかける必要があるのではないか。どちらか一方ではなく両方がある。その両方がひとつの円となっている。この大いなるYESの為に、対話の意味があるのではないか。憲法フェスにおいても、それは、yesとnoを超えてなくてはいけない。何もかも一緒くたにしてしまう所から、分別を働かせ、更にそれを超えるために、分別がある。双方に橋をかけること、対話が虹となるような取組み、これが三宅洋平が意図していることではないか。時代に背負わされたことではないか。良い悪いの問題ではなく、yesとnoの問題ではなく、それらに橋を架けなければ、人類全体にとって、悲劇が起こることから、そこに通路を創造していくことが重要なのではないかと思う。精神文化の高さとは、死者と生者をつなげ、過去と未来をつなげ、意識と無意識を、個人と集合をつなげるということなのではないか、とわたしは思う。どちらが良いか悪いかよりも、その良いと悪いをつなげることが悲劇を避けるために必要である。出口王仁三郎は「霊界物語」で、正神と邪心の戦いを描く。ユング心理学者の老松克博は「人格系と発達系、対話の深層心理学」で、その戦いを和すために、和歌が詠まれることについて書いている。戦いのときに、和歌が歌われるのだ。それは、「言向け和す」という重要な概念なのだった。ミュージシャンとして、歌いながら登場し、対立に橋をかけ、言向け和す、対話する。憲法フェスにおいても、それは歌でなければならない。それは、対立を包含する場、この球体を母とする人類にとって、円であることの意味、大文字のYESとなる場の創造につながるものであろう。二元を超えた意識を持つ個人が増える契機になり、憲法という話題は聖徳太子(厩戸皇子)の十七条憲法を我が国で無視するわけにはいかなくなり「和を以て貴しとなす」列島の深層である歴史と現代とをつなげる契機にもなるに違いないと思う。

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