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日本文化

柳田国男の言う「妹の力」について考えたこと

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柳田国男は「妹の力」(いものちから:1942)という本を書いている。妹と書くが、女性全般の霊的な力ということらしく、現代では「霊的」という言葉に誤解が多いかもしれないが、女性原理の力という風な意味と読めば、なるほどそういうことか、とよくわかるような気持ちがする。しかし、なぜ、こういう「妹の力」なるものについて考えるような機会を得たのかというと全く不思議に、個人的な流れが生じたのだが、ひとつには、最近「妹の死」なる夢を見た。一度ならず、数度と続き、何か意味があるらしかったが、漠然とした解釈に留まっていて、関心を持ち続けたところ、だんだん意味がわかってきて、それを示唆してくれたのが、柳田国男の「妹の力」という言葉で、それもたまたま河合隼雄の著書を読んでいて、出てきた。「妹(いも)」が女性全般を指すような言葉として使われていることを、なんとなく知っていたけれど、いざ、夢の中で、妹なるものが死ぬという絵を見ても、そんな風にパッとは出てこなかったりする。それで、こういうことかな、ああいうことかな、とめぐらせて、それでずいぶん勉強になったものと思うから、夢の仕業というのは、まったく不可思議だ。

日常を生きる中で、疑問や夢や苦しみが現れてきて、その結果、「妹の力」について考え、女性原理の力というものが日常においてどのように働いているものなのかを学ぶ機会となる。ということは、生きていると、そのまま勉強になって、わからんことを古人の遺産にあたってみたりして、あれこれ感じてみて、何かわかってくるのがおもしろくて、また日常を生きる、という循環になってくるらしい。

クリムト

夢を見るには、その反応をひきだす日常があった訳で、それについて想うと、集団のいくつかに顔を出す、という役割をこなしていた中で、妹の死が現れてきた。集団というのは、誰でも会社やグループや色々なところで、所属したり所属するふりをしたりしながら、よく味わって知っているであろう、あの集団のことで、そこには色々な人間がいて、儀礼的な無関心を演じたり、空気を読んだり、影響を与え合ったりしているのだが、その集団の中で生き長らえる為のひとつの知恵として、長い経験から出てきたものが、受け継がれてきて、ひとつの雰囲気を醸し出す。そういう中に入っていき、わたしの中の「妹の力」が死んでしまったのだと夢は語りかけてきた。最初は、妹の死で葬式のような場面となっている。次には、それが続いているということだけがわかる夢で、三度目は、妹がいるはずの布団の上に、美味しそうなお肉が置いてあった。食べ物はエネルギーを現す。妹のエネルギー、女性原理の力、妹の力をわたしは得ることが出来る、一度失った妹の力を得ることが出来る、と夢は語っていた。じゃあ妹の力とは何か、というと生命エネルギーに直結している感情、つなげる力であって、具体的には、どういう訳か色々なことを話しかけてきてくれるおばさんとか、職場でみんなにゼリーを配ったりしている女性とか、男性原理とか思考が強い人からすると、業務上特に意味がないように思われて、ばかばかしいような気さえする、重要ではないようなものなのだが、これが生きる上で美味しそうなお肉を食べるのと同じ価値を持つ、エネルギーを補充する意味を持っていることが示唆されていた。

クリムト2

日本人が集団になると、独特の空気を創って、個人的な関係というよりも、一体化する雰囲気となることについて、わたしはこれまで幾度も書いてきた気がする。というのは、それがわたしの関心事で、疑問であり、苦しみでもあったからなのだが、例えば、駅の改札で、白人二人が何か話していて、わたしがそれに目を向けていると、見知らぬ白人がわたしに「ハーイ」と挨拶してきたりする。それでわたしも挨拶をしたりする。気持ちいい。そして職場の関係で知り合いの人がすれ違ったりするときに、挨拶しようとすると、気まずそうに目も合わせずに去って行ったりする人がいる。気持ち良くはない。なぜかというと、職場という、場の関係があるときは、場の交流の型があるけれども、通勤途中でばったり会うと、場が違うので、個人対個人となって、そのときにどのような振舞いをするのが良いのかわからない、教えられていないので、個が強くない場合は、そういう風になる、ということらしかった。知り合いなのに、他の場所で出会った場合は、知り合いとは言えない、という風にするのが良いのだろうか。場違いということになるのだろうか。わたしには大変疑問であった。しかし、その疑問にも歴史があり、わたしが西洋人のように個対個で関係を持つことに慣れていても、ここは西洋文明を導入したとは言え、日本なのであるから、集合がそうであるのならば、わたしもそれに迎合する方が良いのだろう、という時期もあったし、わたし自身が日本人であるから、日本人らしい伝統に沿う方が楽だなあ、という気がする時期もあった。あるいは、そう簡単に分けることはできないし、個の強さ、つまり意識の強さがみんな違うし、一番楽なのをスタンダートにしておかないと、たかが社会で生きるのが困難で、誰も外に出れなくなるので、こんなものだろう、という気がすることもあった。今では、誰がどうであれ構わない、という感じにはなってきた。他がどうであれ構わないし、それはそれで良いという感じになったのだと思う。その延長で、わたしが今回、訪れる必要が生じた場は、まさに日本的な場の大ボスのような趣があり、わたしが日本的集合にどのように適応するか、という最後の問いが現れて、わたしは日本的伝統に沿って、そこに入って行った。それはうまくいき、個人的な関係がないにも関わらず、その集合に慣れたように適応した。そして妹の力の死が、夢によって告げられた。いや、同じ場において、妹の力によってうまくいった時期もあったのだが、時間軸的に、それが死んだ時期に夢が現れたと言った方が良い。

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その頃、ちょうどインド人の著作に目を通すことがあった。その中では、日本人は瞑想的で、内側に平和を創り、落ち着いているが、すべての人間関係から逃げ続けている、という記述があった。反対に西洋人は、外側の人間関係に幸せを見出して色々やりすぎて失敗した、とも書いてあった。そのインド人から見ると、日本人は内向的で、内向的な幸せを抱えて、外側の人間関係からは逃げ続けていると見えている。落ち着きと平和を得るために、日本人は大きな代償を払っていると彼は書いていた。そして、内側で幸せであるように、外側の人間関係においても人は幸せであるべきだ、というのが彼の言うところで、まさに、わたしが直面したことが、そのまま書いてあるのだった。日本人的に、集団の中に静かに適応して、わたしは成功したと思った。しかし、夢の方が言うのは、わたしの中の妹が死んでいる、という見解だった。思えば、わたしは、知らない人であっても、気軽に話しかけたり、通じ合ったりすることが心地良く感じる、外側の人間関係で喜びを感じるように動いていこうとする側面があった。それがどこか集団とは異なるような、見知らぬ人にも目があえば挨拶するような動きで、それは外側の人間関係から逃げずにそこでも幸せになろうとしていた努力だったのだとわかる。それを手放して、日本人的な人間関係への適応が出来たと思ったとき、わたしの中の妹が死んだのだ。

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極端なことをするつもりはないが、集団適応においても、わたしの中の妹が死んでいない、生き生きとしているようにするための工夫をわたしが必要としていることがわかる。おそらく日本的な集団で死んでいるものを補償する動きとして、妹の力があるのかもしれないが、わたしの中の妹の力は、夢の中の肉は、ウインナーのような西洋的なものであったことを考えても、それは言葉かもしれない。初めに言葉ありきの文化と初めにコトバありきの文化があり、わたしはコトバに傾き、わたしの言葉が死んでいることを夢は示し、この言葉を発する方向性における妹の力があり、コトバの文化において、あえて言葉の力を使おうとするような種類の者も何人かは必要なのだろう。知る者言わず、言う者知らず、というような老子が大好きでもあるのだが、それはそれで徹底しつつも、意味のないように思われる挨拶のような言葉を発するのが、「ハーイ」とか言うような言葉を使うことが、わたしの中の「妹の力」なのかもしれない。というよりも、自分の心を死なせずに、生きていれば、そこに現在しているようにあれば、自然、「妹の力」も現れてくるはずで、慣れてしまわずに、心を揺り動かしているからこそ、「生きている」ということもあるのだと、もはやわたしにとって不自然なことになっている集団の型を模倣せずに、より命を信じてみろ、とのメッセージと受け取った。

追記:上記の文章は、2017年の7月に書いた。その半年後、わたしは、講演をすることになり、言葉によって、集団に語りかける事になった。夢は変化し、妹たちがわたしに絡みついてくるようになった。このような内面の女たちが活気あるように生きることを、既に夢は準備していた。創造の女神、それが、わたしの中の「妹の力」でもあったのだと悟る。上記の文章の段階では、「妹の死」を狭く捉えて、混乱しているところが見えるが、つまるところ、創造性の窒息を意味し、口から手から言葉を出す、ということがわたしにとって、イタコや神託を受ける女性の聖なる力と同様で、外の世界がどうであるかは問題ではなく、言葉を産むという創造から離れているということへの、わたし個体への警告として視るべきだったのだろう。

女神

 

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