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岡倉天心

岡倉天心「日本の覚醒」(1904)全体を把握、凝縮して歴史を描く岡倉天心の詩人としての天分、現代日本覚醒のヒントを学ぶ。

2016/07/09

岡倉天心「日本の覚醒」(1904)を読了した。ニューヨークで出版され、日本人の立場を西欧に向けて著したもので、いくつか時代認識に不備もあるのだが、解説にもある通り、詩人としての天分、全体を掌握する力は、極めて高いレベルにある。出来事が起きた年数を時々少し間違っていて、訂正がかっこ内に入るのだが、それがますます驚きで、資料なしに、これほどの内容を執筆出来るということなのである。全体を把握して、配置し、ひとつの物語として歴史を語る力量、見識の高さ、文章技術、全てどこを取っても、素晴らしい。

第一章の「アジアの夜」 で、岡倉天心は、アジアの衰退が13世紀のモンゴルの征服によって始まったと述べる。中国とインドの古典文明の黄金時代、文化は美しい庭園となって花開き、仏教世界の果てから果てまで、広い交流が行われ、王国は互いに交わり、繁栄を誇っていた。しかし、チンギス・カンの騎馬隊がやってくる。その大規模なモンゴル襲来は、中国を征服し、インドに攻撃をかけ、アジアは分裂する。そして、ヨーロッパにとっては、共通の敵の出現が統一をもたらす結果になったと言う。発展に欠かせない交流が断たれ、長くアジアは、新進の気性を喪う。

「彼らをつつむアジアの夜は、おそらく、他人にはうかがい知れぬうつくしさをもっているのかもしれない。それは、東洋に育ったわれわれのよく知っている、あの荘厳な、深い夜を想わせる、謎のように重く、悲しみのように澄みわたり、 愛のようにおぼろげな、あの夜。そこでは、人が霊魂と交わるとばりのかなたに星が輝き、物音は、静寂の中に消えゆき、自然の妙なる調べが聞こえてくるのである」

「われわれにとって、不幸はそれだけではなかった。鎖国を実施した徳川の将軍たちは、専制支配の網の目を全国民のうえにかぶせた。上から下まで、すべての者が、相互監視の網のなかにからみつけられ、個性のあらゆる芽生えは、かたくなな形式主義の重圧のもとにおしつぶされた。外からの刺激は絶え、島国の中にとじこめられた日本は、因習の迷路のなかを手さぐりしていた。われわれを覆っていたアジアの夜は、このときがもっとも暗かったのである」

徳川の支配機構が、天皇を巧みに利用し、大名たちの力を参勤交代などで消耗させるなど徹底した監視社会をつくり、民族意識は狭隘化、因習の障壁によって、生命が沈滞する。形式主義の傾向のもとに、真の個性がおさえつけられ、創造的な精神が全体を映し出すことが妨げられていく。(宗教における出家が、個人主義に徹することを可能にした為、日本の芸術家たちは、頭を丸め、僧侶の恰好をすることで、社会的束縛、日本社会の因習を逃れてきた、というくだりが個人的にはお気に入り)

ペリーの来航は、きっかけにすぎず、ささやかな流れが、個々の思想家たちの孤独な魂に源を発し、合流していき、陽明学派が力を持ち、大塩平八郎は、役所が人民の生活保護を拒んだとき、公然と反乱を起こす。文芸復興の流れが起き、神道が復活し、日本民族古来の理想である、簡素誠実な精神、断捨離、ミニマリスト的、禅的精神が起こり、侍の心に、歴史的精神に、火をつける。

「夢が実行にうつされるときがきていた。剣は静かな鞘をはなれて、電撃の激しさをもって躍ろうとしていた。ふしぎなささやきが、町から村へと伝わっていった。蓮の花は、たちさわぐ水のおもてにふるえ、星は、あかつきを前にして蒼ざめはじめた。そして、嵐のまえの重苦しい静けさが、国をおおった。王陽明の教えがゆきわたり、龍は暴風を呼んでいた。西洋がわが国の水平線上にあらわれたのは、まさにこのときであった」

岡倉天心の西洋文明に対する批評が鋭く展開されていく様は、圧巻であり、今日でも全く古びていない。つけ加えるのであれば、その後、敗戦し、日本はおびただしい物に埋もれて、再び眠りにつき、伝統は科学文明の底に忘れ去られたかに思えたが、東北、九州の震災によって、日本伝統の精神は復興の気配を見せ始め、個々人の心の内で、灯りへの祈りが喚起され、それは草の根で人々をつなげ、科学と伝統の平衡が模索されはじめ、現代日本は覚醒のときを迎えている。

「いわゆる近代文明を構成する個人は、機械的慣習の奴隷となり、みずからがつくりだした怪物に容赦なく追いつかわれている。西洋は自由を誇っているが、しかし、富をえようと競って、真の個性はそこなわれ、幸福と満足は、たえずつのってゆく渇望の犠牲にされている。西洋はまた、中世の迷信から解放されたことを誇っているが、富の偶像崇拝にかわっただけのことではないのか?現代のきらびやかな装いのかげにかくされている、苦悩と不満はどうなのか?」

「西洋文明をもたらした彼らの船は、それとともに、征服、保護領、治外法権、勢力圏、その他さまざまな悪しきものを運んできた。そしてついには、東洋といえば退化の同義語になり、土着民といえば奴隷を意味するにいたった」

「産業主義の実利性、物質的進歩のせわしなさは、東洋の芸術にとって有害である。競争の仕組みは、生活の多様性のかわりに流行の単調さをおしつける。うつくしさのかわりに安いことが尊ばれる一方、近代生活の煩忙と闘争が、理想を結晶させるのに必要な閑暇をあたえない」

王政復古が起こる。それは、文字通り「古にもどること」を意味し、政治は再び、古代天皇制をとった。いっさいの身分的特権ははく奪され、法の前に平等とされた。新しいものを吸収すると共に、東洋古来の理想の復活が意図された。それは侍道徳を国民道徳に拡張し、高潔と自己犠牲を基調とした。岡倉天心は、日本は維新の理想の為、高貴な古典文明の遺産の為、全アジアの輝かしい再生を夢見た平和と融和の理想の為、決死の戦を戦ったのだと語る。比類なき美しい文章で、天の心で、彼は、西洋に疑義を呈する。

「いつの日に戦争はなくなるであろうか?西洋では、国際道徳は、個人道徳が到達したところにくらべて、はるかに低いところに留まっ
ている。侵略国は良心を持たず、弱小民族迫害の為に、騎士道精神はすてて顧みられない。悲しいことに、われわれが真に頼むことができる友は、今なお剣である。ヨーロッパが見せるこの奇妙な組み合わせ、病院と魚雷、キリスト教宣教師と帝国主義、厖大な軍備と平和の維持、これらは何を意味しているのか?このような矛盾は、東洋の古代文明には存在しなかった。そのようなものは、日本の王政復古の理想でもなく、維新の目的でもなかった。われわれを幾重にもつつんでいた、東洋の夜のとばりは揚げられた。だが、われわれの見る世界は、いまだに人類の夜明け前である。ヨーロッパはわれわれに戦争を教えた。彼らは、いつ、平和の恵みを学ぶのだろうか?」

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