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夢分析

夢日記:『北野武と逃走する夢』

2016/07/09

夢日記1:『北野武と逃走する夢』
『北野武と逃げていた。世界の秩序が崩壊したらしく、逃げなければならないことがわかっていた。人々は暗い街を逃げている。途中、僕の合図で、北野と手を繋ぎ、空を飛ぶ。一人じゃないので、空を飛ぶのに、ひどく踏ん張りがいるが、僕は頑張っている。土管につかまり、二人はよじのぼっていく。皆が避難(非難)している食堂で、人々はパニックに陥っている。テレビカメラが北野武を囲み始める。北野は「皆さん」と演説を始める。「これからは一日に一度これをやりましょう」北野は、松明のようなものをかざして、それを前後に振って見せる。そんなことをしても意味がない、という声が群集から聞こえたが、僕は、頼るものがなくなった世界で、皆で同じ祈りをするというのは、いい考えだと思う。他にできることはない、と考えている。その後も、北野武と逃げていた。北野は、自分が北野武であることが明るみになるのを、恐れている様子だったので、「皆パニックになっているから誰にも気付かれないよ」と僕は慰めた』

登場人物:夢見手「僕」、北野武、群集
舞台:暗い街、食堂
道具:松明、テレビカメラ
行動:逃げる、空を飛ぶ、よじ昇る、演説する、慰める。

夢の解釈
自己評価が低いときに、芸能人と仲良くしている夢が生じることはよくあります。しかし、夢は、個別的で、いつもそうとは限りません。その人にとって、その「芸能人」がどのようなイメージを代表しているのか、をよく考えてみることが大事です。「僕」にとって、「北野武」はどのようなイメージなのか。わたしにとって、北野武のイメージは、芸術家であり、影の王様です。一般的には、芸人であり、毒舌家であり、ぼうりょくてきなイメージもあると思います。ここから導き出されるのは、日本人にしては珍しく男性原理を鍛えた人間のイメージも現していると思います。

夢は、その時の夢見手の意識と合わせて考える必要があります。わたしは、この頃、社会生活の中で、自身の北野武的側面を抑圧していたのでしょう。わたしの北野武のような側面が影となっていたのです。それは、男性原理であり、芸術家としての顔でしょう。北野武と手をつないで、苦労して空を飛んでいる所が滑稽ですが、おそらく飛躍の為に、「僕」は頑張っているのでしょう。その先で、人々に対して松明を振ってみせて、演説を行う。影と共にあることで、辿りつく先を夢は語っていたのかもしれません。しかし、その時は、「僕」は、北野武的な側面を隠そうとしているようです。影の王が、光の世界に姿を現すのには、ここからまだ道のりがありそうです。

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