キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

ショートストーリー(無料)

「夜と星」(2010)

2016/07/09

夜、アパートのドアを閉めるときに、躊躇することがある。目を見開くと、閉めかけたドアの隙間、長方形の夜の中に、星が見える。冬のせいなのか、やけに瞬いている。

時々は、孤独というのは、あの星のようなことだろう、としたり顔する。雲とか、太陽とか、星とか、空とか、夜とか、月とか、そういうのは、女性の美しさに似ている、とにやけ顔の時もある。自分が星になったような、吸い込まれる感じがするときは、原始部族が太陽と同一化して癒されるのは、きっとこんな風で、ここには孤独がないのだ、と真顔のときもある。一体何を星なんか眺めているのだ、と大人顔をきどって、星の下では全ての人間から身分が滑り落ちるからだ、と納得し、ドアを閉めるときもある。

五時に目覚めた朝、「コルシア書店の仲間たち」を枕の横から取って、よだれが垂れていないか点検する。もう何度も読んでいる、目次の前に引用された詩に目を通し、本を閉じる。全然先に進まない。

石と霧のあいだで、ぼくは休日を愉しむ。大聖堂の広場に憩う。星のかわりに夜ごと、ことばに灯がともる。人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものはない。

人生ほど、生きる疲れを?頭が止まったまま、冷蔵庫の前に立っている。前方の窓は朝の光で白い。窓を開けようと思ったのか、手が伸びて、でもなぜか中断して、冷蔵庫の上のりんごをがっしりと掴んでいる。手に伝わるその肉厚が、りんごが、理解できないような心持ちがする。どうも美しいのは確かだが、あやしい。ひっくり返して、りんごのお尻の部分をくんくん嗅いでみて、少しはわかった気がしてくる。

着替えて、外に出る。朝の風は冷たくても、好きだ。淀川の上方あたりの空では、雲がもくもくと立ち昇り、いつもの星が見えなくなった位置からは、金色の光が注いでいるから、わたしは太陽を見てやろうとして、目がくらみ、はっきりと見ることはかなわない。仕方がないのでコンビニに行って、店員と二十分ほどお喋りして、眠気を覚ました。話した内容は忘却した。

ところで、文章を書いていると、煙草がうまい。おそらく、煙草が身体にわるいのはある程度あたっているが、たましいに良いのは間違いないとわたしは思う。もうだめだ、現在は、一月六日の昼、十二時になったところだから、仕事に行く準備がいる。続きは夜に書こう。しばらく待ってください。あなたは待たずに読むことができます。わたしはまだ待たずには読めない場所にいます。書けない場所とも言える。

というわけで、戻ってきた。ようやく続きを書ける。ここまで読み返してみたが、どうも文章が硬いね。まあいいか。

須賀敦子さん、あなたは、「入り口のそばの椅子」でツィア・テレーサとの思い出と、文末に至っては、彼女の老いた姿を描写していますね。「八十をすぎたばかりの彼女が、私たちの顔を見分けられないほど老いていたことは、どちらにとっても、さいわいだったかもしれない」

わたしが九十二歳になるおばあちゃんと出会ったのは、五月のことでした。おばあちゃん、聞こえますか?あいさつを交わしたときに、わたしはびっくりしましたよ。あなたが美しかったからです。顔の皺が、白く光り輝いて、若々しく見えました。なぜ光っているように見えるのか不思議で、わたしはまじまじと、きっと愛するように見ていましたが、そのときにはよくわかりませんでした。なんて綺麗な人なのだろう、とびっくりしているだけでした。おばあちゃんは細巻きを食べていましたね。わたしはビールをすすめたけれど、「わしはもうええよ」と言って、微笑んでいました。その顔が綺麗で、もう一度見たかったので、今度は緑茶を飲んでいるおばあちゃんに、おかわりをわたしはすすめました。おばあちゃんは、ぼーっとテレビを観ていて、わたしの声に気付いて、「おうおう」と言ってくれました。

おばあちゃんに、再会したのは八月でしたね。棺の中で、綺麗な顔で、眠っていました。あなたの魂が飛んでいった後、おばあちゃんが、わたしのことを先々で話題してくださっていたのを知りました。一度しかお会いしてなかったけれど、何か通じ合いましたものね。わたしは、そう信じています!おばあちゃんは、いつも人々に感謝の念を持って、それを言葉にし、手紙にしていましたね。強い人にしか、そういう風に感謝のこころを持つことができないのをわたしは知っています。あなたは強くて、美しい人でした。車に乗って、親戚の家に出かけるあなたが、車の窓から、何度も手を振って、お別れを知っていたかのように、いつになく、何度も何度も手を振っていたことを聞きました。見たわけじゃないのに、わたしのこころには、鮮明に手を振っている姿が見えます。不思議ですね。あなたがわたしのために書いてくれた手紙、何度も読みました。泣いてしまいます。本当の文章というものは、全て、ラブレターなのだということをわたしは知りました。あなたに会えなかったら、わたしはいまのわたしではなかったと思います。

須賀さん、あなたは年老いたテレーゼに自分を重ね、人生の疲れと孤独を思っている。しかしどういうわけか、あなたの孤独が成し遂げた、「コルシア書店の仲間たち」が、わたしたちにもたらされ、こうしてわたしたちの孤独を繋げ、新たな仲間を創りだしている。

年をとると、肉体が老いていく、一方、その魂は上へ、高く高く昇っていくということがある。そうしておばあちゃんは、命としてこれ以上ないくらい高くなって、空に昇っていき、今も、古の人が言うとおり、星になって、夜空に光り輝いている。夜空に昇る寸前の光が、人の顔に宿るのをわたしは見たのです。

「過去、現在、未来、という区別は、どんなに言い張っても、幻想にすぎない」とアルバート・アインシュタインは言いました。わたしは、この言葉をいつも思い返しています。おばあちゃんを見るときに、そこに少女の姿が見えるように、少女の中におばあちゃんの姿が見えるように、成熟した女性の中に少女とおばあちゃんが同居しているように、そういう風には、見えるようになりました。そこでは、あらゆる時間が同時に重なっている。あなたは、この本を書きながら、「コルシアの仲間たち」と共にあり、そして特に、夫のペッピーノと二十数年前のあなたと、これを書いているあなたが重ねられている、この本をもたらしてくれた女性とわたしもまたそれに重なって読み進め、こうしてわたしの文章と、これを読むあなたが重なる。こうした重層性の中に奇跡を見ることは、おおげさにすぎるでしょうか。

「入り口のそばの椅子」の中で、「しかし、六七年に夫が死んだあと、」とあなたはペッピーノの死を短く、極端なくらいに抑制して書いたとき、この本が決定的に重くなり、書かないからこそ、書けないからこその想いが余計に響き、ここから、あなたが夫について書いているのと同義であることがわかり、読み進めるのに、わたしは苦渋しました。「家族」の章で、「一九六七年の八月。六月のはじめにペッピーノが死んだ」という、時制を八月にしながら、六月のペッピーノの死を一行で書く不自然さと、文体の揺れが、わたしには心地良かったです。もの哀しくもありましたが。死を省略すればするほど、仲間たちについて詳しく書けば書くほど、書かないものが浮かび上がってくる。本も終わりに近づき、「オリーブ林のなかの家」で妻と別れたアシェルが、「グイード」という小説を書いた話がある。あなたは、この小説を批評して、「あっという間に終わってしまった結婚生活について語ろうとしたのだけれど、十分な客観化に到らないで、作者の個人的な嘆きが、シチリアの泣き女の葬送唄のように重苦しくたゆたって、作品の印象を弱めていた。肝心のところで、作者が核心にせまるのを回避するのも、作品を宙ぶらりんに終わらせた原因と思えた」これは、あなたがペッピーノを書くときに細心の注意を払った事柄についての説明と同じことになっている。仲間達の中で、ペッピーノのことだけは、十分な客観化に到らないため、個人的な嘆きとなるのだけは避けようと、肝心のところで、核心を回避しているように思えるのです。しかし、回避しているからこそ、伝わってくるものもある。書けないのは、あなたが生身のままで書こうとしたせいでしょう。

しかし、次の「不運」の章で、様々な不運を並べたあなたは、最後に、カルラの姿で、ペッピーノの死を書くことに成功する。「その夜、カルラは、立っていられなくなるほど、酔った。ながいイタリア生活で、友人が酔うのをみたのは、後にも先にも、あのときだけだった。話が書店のことになると、カルラは泣いた。ペッピーノが生きてたら、そういってさめざめと泣いた。とうとう、床にへばりこんで、泣いては、またグラスを空けていた」あなたは、ここで作家になっている。夜に溶け込み、この世から束の間姿を消し、星となって世界を眺めている。あなた、という存在が、とつぜんカルラする。存在が、生命の線となり、紙の上を走る。存在が言葉している。

最後、「ふつうの重荷」の中でも、同じですね。「ペッピーノの死によってルチアがうしなったのは、かけがえのない仕事の協力者だけでなかった。彼の残した空白の中で、ルチアは大学を卒業してまもなくこの書店で働きはじめて以来、ほとんど空気のようになじんできた、コルシア・デイ・セルヴィ書店の哲学とでもいうようなものについても、もういちど、自分なりに考えなおさなければならなかった」ルチアの視点を借りて、ペッピーノの死を書いている、とも言える。不運を乗り越え、普通の重荷となった、とも書ける。

しかし、わたしの書いたことは、全て思い込みであり、読書体験というのは思い込みの結晶のようなもので、だからこそ、ただ一つしかない。

星のかわりに
夜ごと、ことばに灯がともる。
人生ほど、(物語ほど)
生きる疲れを癒してくれるものはない。

煙草を吸いすぎた。星を少し見てくる。ちょっと待っていてください。あなたは待たなくても読めます。

寒かったよ。星が空に幾つかあったよ。孤独な星と星を、夜がつなげているみたいに見えた。おやすみなさい。

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