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無印良品パイン材テーブル。白木の美しさに惹かれる理由

2016/09/02

無印良品。言わずもがな、皆大好きなあの無印ですが、今日は、わたしのお気に入りのパイン材テーブルについてお話しましょう。

誰でも、何かにとても強く惹かれるということを経験したことがあると思う。人や物や景色や植物や動物に、なんだかわからないけど、恋するように強く魅了されて引きつけられてしまう。わたしは、あるとき、白木に惹きつけられてどうしようもないことが起こった。白木とは、塗料なしの白地のままの木材を指すのだが、この生の木の風合い、剥き出しの白木の清潔感、聖なる感じが、恋しくてたまらない、あるいは好きで好きで仕方がない、というような感じがしてきて我ながら驚いたものである。伊勢神宮で、あの白木を組み立てた宮の静謐を観たとき、白木の柱の神聖なる光の輝きが、わたしを感動させ、その美しさは、長くわたしを魅了し続けている。PCのデスクトップ画面は、伊勢神宮の写真をわたしは長らく使用している。わたしは一度しか行ったことがないけれど、あの美しい白木の柱が組み合わさって家になっている、宮になっている姿は、今でも憧れている。わたしは、あれに住みたいとこころから思うような人間なのだ。どうして、こんなにこころ惹かれるのだろうか、と自らに問いかけるのだが、わたしには、ただわたしのこころがそれを見て、その美しさに感動しているということがわかるのみであった。とにかく、余計な装飾を出来るだけそぎ落とした、シンプルで、その白木の美しさをそのまま活かしているようなものにわたしがこころ惹かれるということは、段々とわかってきた。いわば、素材の味を活かしたシンプルな料理を好むのと同じなのだとは思うが、どこから自分がこういう風になっていったのか、日本人の血なのか、何なのか、よくわからないまま、白木を好むことだけがわかっていったのだった。

無印良品、テーブル配置

大体、そういうものは、割と高くて、手が届かないものが多いのだが、この無印良品のパイン材テーブルを見て、このシンプルな形状と値段に、惚れこんですぐに購入したのだ。これは折り畳み出来るテーブルで、移動も容易であり、余計なことがなにもない、シンプルなだけのテーブルで、これがいいのだ。これが心惹くのである。色々な余計な装飾をしてくれなくて良いのである、これがいいのである。

無印良品、テーブル折り畳み

そうして、白木のテーブルを前に腰かけてはにやり、遠目に眺めては、神社を眺めているような気分でにやり。その四足の間の空間を眺めるだけで、わたしは、即伊勢神宮気分なのである。笑。そうして、今では白木を好む理由も、より深く明確になりつつある。国土の六割が森であり、縄文時代から、列島の民は、木と共に暮らしてきた。木は、衣服になり、家になり、人間を守ってくれる。道具を提供する。アイヌでは、木の神をシランパカムイと言う。言葉の音からして、白木の神というような感じだと思う。アイヌ英和辞典によると、シランパとは「木のように地上に立っていること」であり「地にあるものたち」を意味するそうな。樹木、植物、動物、人間も地にあるものたちである。地にあるものたちの象徴としての、代表としての木の神なのである。梅原猛によると、おしらさま、こけし、おひなさまと、木に顔を描いたものを神様として信仰し、それが人形になり、ついには服を着せられるようになる発展が考えられると言う。おそらくその通りだろう。縄文土器の縄目は、木の皮で創った縄を、土器にこすりつける、そこに木の神の力を付与する意味がある。この列島で一万年以上続いた縄文文化、蝦夷文化、アイヌ文化が、わたしの心の深層にも同じような層を創っているのは、当然のことと思う。わたしが、白木に非合理的に惹きつけられてやまない理由がようやくわかってきた。白色は、聖なる色を象徴する。木々は酸素を生み、全ての動物たちのゆりかごを創る恩恵の現れであり、人間の近くにいて助けてくれるシランパカムイなのだ。白木に惹きつけられるのは、まったくもって、必然だったのだと理解した。

そんなわたしですから、下記のようなベンチは困る。わたしには、神社の鳥居にしか見えないのである。恋しくて恋しくて、欲しくなってしまうのである。

下記のような竹のものもたまらなく好きである。これも結局は白木の良さを活かした、日本列島の民の心に響く何かなのだと思う。木を見ると落ち着く、木の道具や家具がそばにあると、心安らぐ自分を観察しているのが最近楽しいのである。縄文時代に、わたしのこころがつながっているのを感じるのである。それがうれしいのである。シランパカムイをわたしは知らぬ間に信仰していたのだった。

無印良品 竹材ボックス

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