キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

谷崎純一郎

谷崎潤一郎「猫と庄造と二人のおんな」(1936)

2016/07/09

谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」を読んだ。文庫本を持ち歩き、色んな場所で、好き勝手に開いて、笑ったり、あくびしたりするというのは、いい。わたしは、エステの帰りに、目の前の男が、わたしの胸元ばかり覗き込む電車の中でこの本を開きながら、いい気分だった。元々、わたしは胸が大きくて、中学生になると、人気があった女教師よりも、大きくなって、内心、嬉しかった。いやよ、スケベね、男は、とかクラスメートには言いながら、男達が、わたしの胸元を覗き込むのが、たまらなく快感だった。ことに、教頭先生が一番熱心だった。色々良くしてくれた。わたしは胸元が良く見えるように、わざとシャツのボタンを外したりした。校則にうるさかった数学の先生は、わたしには注意しなかった。どことなく頬を赤らめながら、ちょっとした隙に、ちらりとわたしの胸元をのぞきこむ男だった。たいていの男はこういうものだ。でも、クラスで人気者だった、大ちゃんだけは、わたしに興味を示さなかったのが、悔しかった。彼は、面白くて、いつも先生と口げんかして、必ず勝っていた。先生たちが、中学生に口げんかで負けるのを見るのは、愉快だった。わたしは大ちゃんを振り向かせたかった。でも、全然わたしには興味を示さないで、授業中には先生をこけにして、クラス中を笑わせて、休み時間はいつも一人で屋上にいて、牛乳を飲んでいるばかり。そんなわたしが、大ちゃんと仲良くなれたのは、中学二年の秋口のことで、街のお祭りで、商店街がにぎわっている中、数名の友達と連れ立って、大ちゃんのグループと、暗い、誰もいない学校の裏で、おしゃべりをして、缶入りのカクテルを飲んだ。それから、二人一組になって、裏山で別れて、わたしは大ちゃんと木の陰で、色々なことをした。そして、すごく良くなっているときに、猫の鳴き声が聞こえ、薄暗い林の中、草の間から、二つの小さな光がこちらに向かって歩いてくるのを見た。あと二メートルくらいまで近づいて、その二つの目は、じろじろとわたしと大ちゃんの秘密を眺め回してから、急に興味をなくしたように、プイと顔を振り、ゆっくり去っていた。今でも、大ちゃんとのことを思い返して、ひとりベッドで悶々としたり、恍惚したりするときがあるのだけれど、そのとき、必ず、この二つの光る目が一緒に思い出されて、わけもなく、泣いてしまう。

 

-谷崎純一郎