キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

意識

吉福伸逸「無意識の探検」 (1988)読書メモ

吉福伸逸「無意識の探検 トランスパーソナル心理学最前線」(1988)

無意識システムの発見

アドラー、ユング、フロイト、フランクル、ライヒ、クライン、ハルトマン、サリヴァン、ホーナイ、フロムなどに代表されるフロイトを基点とする精神分析学の発展は、無意識の欲求を特定しようとする試行錯誤の歴史であった。

フロイト自身は、最初は性と生存、後に愛と攻撃性に重点を置くようになり、最後には、生と死にその源を見るようになった。

ランク 建設的な意志を求める欲求
アドラー 権力の追及
フィレンツィ 愛と受容を求める欲求
ホーナイ 安全を求める欲求
H・Sサリヴァン 生物学的満足と安全
フロム 意味づけを求める欲求
パールズ 成長と成熟の欲求
ロジャーズ 自己の保存と強化
グラッサー 愛と自己の価値
ユング 自己実現傾向

西洋心理学の主要な学派の色分け

・フロイトの精神分析学
人間の意識に二つのシステムが働いていることを公式化。自伝的無意識を想定、人格形成の基盤を生後数ヶ月から数年の幼児期に還元。

・アメリカ行動主義心理学(ワトソン、スキナー)
刺激/反応パターンに基づく外界からの強化を人格形成の決定的要素と見る。欲求や動機に関して人間はすべて無意識とし、その基盤をすべて外的条件づけに還元。

・ユング心理学
フロイトの自伝的無意識の他に、集合的無意識(普遍的無意識)を想定。

・人間性心理学
マズローの自己実現論、ロジャーズの来談者中心療法、パールズのゲシュタルトセラピー、フランクルに代表される実存心理学。

・トランスパーソナル心理学
マズローは、人間の病理的側面を強調することの多い精神分析学を第一勢力と呼び、人間の機械的な側面を強調する行動主義心理学を第二の勢力と位置づけ、人間の健全で優れた側面を研究の対象とする第三の勢力、人間性心理学を設立。晩年には、自己超越にターゲットを据えた第四の勢力、トランスパーソナル心理学の必要性を説き、確立する。

トランスパーソナル心理学では、単なる健全な自我の確立にとどまりがちな現段階の文化的、社会的状況の中では、発現無意識から浮上する自我を超えた発達構造が抑圧されがちになると見て、それを発現無意識と呼ぶ。

セラピーとその目標

・精神分析学
主に神経症を対象とし、自我の強化を通した患者の社会的適応を目標としている。

・行動主義心理学
悪い癖やパターンの除去と過剰行動の削減によるよりよい社会適応を目標とする。

・ユング心理学
神話的/元型的エピソードの統合を通した社会的適応と人格の深まり(個性化)を目標とする。

・人間性心理学
自己実現を中心命題とし、社会的条件づけから発生する偽りの自己を看破し、真の自己と呼ばれる個人の究極の状態を目標とする。

・トランスパーソナル心理学
自己実現を更に推し進め、これまで宗教領域に限定されていた自己と宇宙との直接一体感の経験を目標としている。

歴史的背景

1969年にトランスパーソナル心理学はアメリカで設立されたが、基盤は、60年代初頭の文化的社会的変動で、物質主義、個人主義、科学主義に代表されるそれまでの西洋社会のあり方に対する幻滅や反発が、草の根レベルで浸透、既存の価値観やライフスタイルに大きな揺さぶりをかけた。

物質主義的夢の不適切さが認識されると、外的な追求によって得ることのできなかった満足の源を求めて、自らの内側に目を向ける人が出てきた。

広範に行き渡った向精神性物質と瞑想などの意識変性のテクニックは、何世紀にもわたって西洋人にとって神秘的、不可解、無意味と映っていたものが、相当数の人にとって現実的なものとなった。変性意識状態の理論的理解が深まるにつれ、宗教や東洋思想の伝統が、高次の意識状態の誘発を意図したテクノロジーを現していることがわかってきた。

心理学と宗教の統合

西洋的世界観と東洋思想の統合。

意識は多次元的である。心理学、心理療法、宗教の学派や宗派は、それぞれ異なったレベルに力点を置いている。したがって、これらの学派は互いに対立しているのではなく、相補的であり、それぞれのアプローチは、それ自体のレベルに着目している限り、おおむね正しく妥当なものである。(意識のスペクトル1.ケン・ウィルバー)

・宗教と科学、西洋と東洋の統合の先駆者

ユングは錬金術や曼荼羅や道教を取り入れ、「共時性」という仏教的な概念を提唱した。

アサジオリは、仏教、ヒンドゥー教の伝統的修行体系から流用した技法を行っていた。

西洋心理学者以外にも、量子相対性理論の提唱者エルヴィス・シュレーディンガー、ウェルナー・ハイゼンベルク、アーサー・エディトン、ニールス・ボーアが東洋思想に深く傾倒した。他にも、実存主義者ハイデッガー、鈴木大拙との対話で知られるエーリッヒ・フロムなどに東西思想統合への視線を見出すことができる。

トランスパーソナル心理学は臨床面でも、伝統的西洋心理学の技法とバイオエナジェティックス、ゲシュタルトセラピーなどのグループセラピーの技法に加えて、チベット密教、禅、上座部仏教などの多様な瞑想法を取り入れ、東西の融合が実践されている。

*バイオエナジェティックス
ライヒ派の心理学者アレキサンダー・ローエンによって開発されたセラピー、人格やキャラクターは肉体構造を持つと考えられており、感情生活の鍵は自分の動きに現れる身体感覚にあるという考えに基づいて行われる。このセラピーの目標は、「喪失された」身体の奪回であるが、その根底には肉体的緊張が人格の機能を制限すること、そしてその緊張の解放が人格を解放するという認識がある。

ラルフ・メツナー「意識変容と比喩について」

意識変容に関わる主な伝統的システム三つ

1 シャーマニズム
動物や植物を象徴的にとりあげる。

2 錬金術
鉱物や冶金をとりあげる。

3 ヨーガ
他の二つのシステムと交差している。

この三つの伝統的システムのほかに、西洋のサイコセラピーがある。

*変容体験プロセスの描写の核となる比喩は、10から12ほどしかない。たとえば死と再生もそうした比喩の一つ。変容とは死ぬことだと言えます。古い自己が死に、次に過渡期があり、自己が再生する。

・意識の変化を目が覚めることに近いとする、「目覚め」という比喩もある。

・「旅」という比喩もある。慣習や一般社会、家族などを出奔し、障害、試練、盟友、案内人に遭遇し、治癒や知識や洞察をもたらすゴールにたどり着き、最初の出発点に戻ってくる。

・様々な精神的伝統、神話、セラピー、ドラッグ、自然発生的な状況で比喩がどのように生じてくるかを研究した。それは、プロセスの理解に役立つ基本的パターンで、誰かが個人的変容の中にいて、行き場を失い混乱している場合には、古代の経典や芸術作品から何らかの指標や道標を見出すことができる。

・あらゆる比喩やシンボルはわれわれが思っている以上に大きな役割を果たしている。

・非日常意識や未知のものを指し示すために比喩やシンボルが必要になってくる。その体験を「それは死んでいくようなものです」とか、「それは目を覚ますのに似ています」という風には伝えることができる。神秘的文献にはそうした比喩が無数にある。新約聖書や十牛図。

・「すべての道は同じ頂上に通じる」という比喩。「ヴェールを脱ぐ、取る」という比喩。「浄化」という錬金術的比喩。

・「対立の統合」
伝統的変容プロセスには、対立の統合、対立の一致がある。

・「影の統合」
われわれは自分の影を抑圧するか、世界に向かって投影しがちになる。その投影を自らの手に取り戻すべく、自らの内なる敵をよく知る必要がある。自分の影を他人に投影するのではなく、それを自分でつかみ、実態を知る。

主な対立は三つある。

1 善と悪
2 男性と女性
3 人間の意識と動物の意識(元型)

われわれの内部には、進化の残留物として動物の意識がある。

シャーマニズムと錬金術では、動物の意識がきわめて重要な役割を果たしている。クンダリニーは動物の比喩のひとつ。

仏陀は蛇を頭に乗せて座り、キリストは弟子に「蛇のように賢くなれ」と説く。

ワークショップでは、錬金術的要素の変成に関した比喩を使っている。地水火風には、物質的、心理的意味があり、調和のとれた秩序を保つことを狙いとし、観想法を使って植物意識、動物意識、そして四要素とのコミュニケーションの学習をワークショップでやっている。

ジョン・ウィア・ペリー

黒船ペリーの子孫。ユング心理学者。第二次世界大戦中、中国に滞在。その後、スイスのユング研究所でユングに師事。帰国後サンフランシスコで開業医として診療。70年代に、統合失調症の居住センター「ダイアベシス」を共同創立。

・中国の倫理観が素晴らしかった。西洋人から見ると否定的に見えるなまの人間性がいつも表に出ている。西洋では、隠したり抑圧したりしてしまうのに、中国ではすべてがフランクでオープンだった。

・中国の思いやりについてわかってくると、それが一種の人々と出会うときの心構えだとわかってきた。相手が何を見せるか、何を言うか、どこからきたのか、世界をどのように見ているのかに忌憚のない関心を示す。西洋では、他人と会ったときには、しばらくのあいだ、自分を抑えているのがふつうで、即座に心を開くことを恥ずかしがります。

・中国では他人のおもいがけない部分を敬います。違いというものが、恥ずかしさや警戒心ではなく、魅力になるわけです。ユングも同じで、他人のおもいがけない部分に対して、かぎりない尊敬心をもっていました。理論や手法を人々にあてはめるのではなく、彼はその逆をやった。自分の心を開いて、他人を関係性の中に招き入れた。相手が自分と違っていれば違っているほどユングは徹底的に楽しんでいました。

・「ユングの印象について」
言葉では説明しずらい人物です。すべてに関してスケールの大きな人物でした。広大な意識を持ち、身体のつくりも大きく、その影響は強烈でした。進行しているあらゆることに関心を示し、どんなことが起こっても、それに関して豊穣な連想力を持っていました。彼と話をしていると、地平が驚くほど広がっていくような感覚を抱かされました。歴史や文化に対する造詣をとおして、視野が広がり、魂の深みが伝わってくる。ユングはまた相手が知りたがっていることに関して、きわめて直感的な感知力を持っていました。相当サイキックだったんです。あるとき、友人が夫と共にアフリカに行くことになっていて、友人は困惑し不安に思っていました。彼女は、ユングに相談したいと思い、何を準備すればいいかなど質問のリストを六つほど用意しました。ユングは疲れているときは、一方的に話すことを好みます。彼女が会いに行ったときは、ちょうど彼が疲れていた日だったので、ユングは一方的にアフリカについて話しました。ところが、ユングは、話の中で、彼女が書き上げたリストの順番のままに答えていきました。リストを見ないままで、彼女の質問のないままで、質問に答えていったんです。彼女はそのことに深いショックを受けていました。信じられなかったわけです。わたしとの対話でもユングは大体そうでした。

ユングは個人の魂の深層から何が浮上してこようと、その内容に関わらず、意義があると見ていました。その活動を通して、それが典型的な元型的プロセスに適合するかどうかを彼は見ていました。

ユングは、非常に受容的でした。きわめて自信にあふれたエネルギッシュな人物であると同時に、根本的には受容的でオープンな人物でした。

一般的にユング派の解釈では、ギリシア神話、古代の中近東、エジプト、インド、中国、日本などの象徴的プロセスにその類比を見ます。

わたしは偶然、ミルチャ・エリアーデの「永遠回帰の神話」に出会いました。その本には、古代中近東の新年祭の描写があります。これは王様の祭りでそこにすべてのプロセスが含まれていました。死、太初への回帰、中心、対立の衝突、世界の破壊、世界の再創造、王の昇格と神格化、聖なる結婚。

まず、相対立するものが衝突し、つづいて両者が変革し、最後に相対立するものが融合する。それが聖なる結婚です。わたしはそうした症例を何度も目にしてきました。

・「アグニュー・プロジェクト」
精神病入院患者の半分に投薬し、残り半分には偽薬を飲ませる研究で、どちらも同じカプセルをもらうため、どちらがどちらかは誰にもわかりません。3年かかって120の症例でこの実験を行いました。投薬が必要かどうかを調べるきわめて科学的な実験です。結果は、入院して三年間投薬を受けた患者の場合、再発して、再入院する確率は、73パーセントでした。ところが、病院で投薬を受けなかった人の場合、再発したのは、わずか8パーセントでした。さらに驚くべきことは、投薬を受けなかった人はその後成長を続け、情緒的にも発達し、心理的状態も急カーブを描いて上昇していた点です。投薬を受けていた人は、その状態にとどまり続け、数値は全く変わりませんでした。これはきわめて重要なことだと思います。ところが、誰もそれを出版しようとせず、耳を貸そうともしない。精神病にはそれ自体方向性があり、精神医学の治療を施すより、そのままにしておく方が良いという考えに対しては、驚くほどの偏見が存在しています。こういった角度から精神病を見ると、それは自己再組織化のプロセスということになる。病気や不調ではなく、再秩序化のプロセスなんです。魂が何かを崩壊させるときには、当人はそれを確実に感じ取る。魂はきわめて激しいプロセスで、自らに終焉を告げます。ところが、その終焉は、基本的に治癒のプロセスであるばかりか、再秩序化のプロセスでもある。魂はこう言っているんです。「こういった生き方はもうたくさんだ。この世界観を変えなければならない」にもかかわらず、精神医学の専門家は、患者を動揺をきたす前の状態に戻そうとする。家庭に戻り、まったく同じ状況の中で再び同じことを繰り返す。要するに、われわれがやろうとしていたことと、医学の専門家がやっていたことは、まったく逆だったわけです。精神病を体験する人は、実際には障害のある人ではありません。彼らは心優しい、才能のある人たちです。だからこそ、問題を抱えてしまう。あまりにも感受性が豊かすぎて精神病になってしまうんです。彼らは一般に相当高い感受性をもっており、その感受性に苦しめられている。しかし、その感受性をうまく活用して、困難な側面をうまく乗り越えることができれば、すばらしい人物になる。

・刷新プロセス(リニューアルプロセス)の基本パターンや時間的長さ

精神病や統合失調症とされる患者の半分の人がこれにあてはまると思います。それが最初の体験の場合、リニューアルプロセスであることが非常に多いようです。数多くの患者の観察結果からすると、その期間は、約六週間、40日強です。しかるべく対処すれば、「障害となる症状」は数日のうちに消えてしまう。

このプロセスが生じるのは、こうした人の場合、深遠な変化やプロセスが必要となり、魂自体の再組織化と再編成が起こるからです。この時点に差し掛かると、自我からエネルギーが引き出され、そのエネルギーが神話的、象徴的な形で機能する魂の深層へと引き戻される。この魂の深層レベルでは、イメージや感情が一体となって機能する。そのため、この深層レベルは、神話や儀式の源ともなっている。そうなると、当人はこの世の中ではなく、それとは全くことなる神話的世界に生きていることになる。彼らはそこで起こるいろいろなことを描写する。ところが、それは外部では起こっていないために、狂っているように聞こえてしまう。すべてが内面で起こっていますからね。問題はこれがあくまでも内面世界の出来事であり、エネルギーが魂の深層部へ入りこんだときに起こるこのプロセスが、自己イメージと世界イメージの両方を溶解してしまう点にある。物事の見方、体験のし方、感じ方、関係性、そのすべてが脱構造化されてしまう。しばらくの間、あらゆることが混乱状態になり、様々な対立が終始衝突を繰り返す。このプロセスの再統合の局面を表す、二つの要素は、再生と世界創造でしょう。

この再生は、実際文字通り起こり、彼らはそれを演じます。アグニュー・プロジェクトでは、そのプロセスを経ている人のために、特別な部屋が用意されていました。そこで、彼らは数時間のうちに、幼児に戻ったり、母親の胸や子宮に戻って、象徴的誕生のプロセスを体験する。驚くべきことに、このプロセスは、まったく自発的な形で起こります。当人には、そういった知識がないにもかかわらず、魂が自発的にそれをおこなうわけです。こうして世界の創造と再誕生が同時に起こり、新しい自己と新しい世界が誕生する。世界イメージにはそれを表象するイメージがありますが、これは自己イメージと同じで、両者とも一つのマンダラになっています。世界の知覚、機能、交流の仕方を内面にある自己が統制し、それに対して世界がフィードバックしてくるといえるかもしれない。そのため自己イメージと世界イメージは、互いの一部を構成しています。だからこそ、一方がだめになると、他方もだめになるわけです。要するに刷新というのは、まったく新しい歩き方で一からすべてをやり直すということです。興味深いのは、古代からの神話や儀式に、それに匹敵する展開があることです。聖なる王様とは、共同体を代表してこのプロセスを体験する人物のことです。王様は儀式を通して、死と再生、世界の破壊と創造をやり遂げます。そうして、一年毎に世界の新たな創造が行われる。わたし自身、様々な社会の中で、改革者や予言者が経てきたプロセスを研究してきましたが、これは個人だけではなく、社会そのものが通過するプロセスでもあります。現在では、この点に関する文献が数多くありますが、彼らは、みな同一のヴィジョンを通過するようです。彼らは自らの死を体験し、大地に横たわる死体を目の当たりにして、それが文化そのものにもあてはまることを知ります。そして、精神病の人と同様、世界が崩壊するのを目の当たりにする。ですから、予言者と精神病者が見ているヴィジョンは、ほとんど同一です。そのため、わたしは治癒というのは、個人にあてはまる場合もあれば、新しい霊的衝動の焦点となる予言者を媒介とした社会の治癒になる場合もあると考えています。これは現代社会のなかのヴィジョナリティ(幻視者)をどう扱うかという現実的な問題につながります。われわれの文化に刷新の必要があるとすれば、何らかのヴィジョンが必要となってくる。今後、物事がうまく機能しない時点に到達すると、こうしたプロセス全体を体験する予言者的人物が数多く出てくると思います。そうなると、未来に新しい意味を付与してくれるかもしれない新たな神話の形成を目の当たりにしている人々が、病院へ送られ、投薬されることになるかもしれない。聖パウロ、ジャンヌ・ダルク、ジョージ・フォックスが病院に送られることになるのです。

刷新プロセスは、明らかに成長と発達のプロセスだといえます。心理的成長はなだらかに進行するわけではありません。7年か8年ごとに盛り上がりがあって、大きな変化が起こります。たとえば思春期はそうした大きな変化のひとつです。成長・発達のプロセスの一つのターニングポイントで、一般に28歳頃に大きなターニングポイントがやってきます。これが最大のものでしょう。刷新プロセスを感情的動揺のないままで通過する場合もある。たとえば、魂の中に引きこまれるのではなく、その内容が夢という形で定期的に意識に浮上してくる。ちょうど井戸の中でおぼれるのではなく、井戸から水をくみ上げるようなものです。わたしの治療でも、こういったぎりぎりのところに立っていながら、集中的な作業によってそこへ深く入り込まないままで抜け出た人が何人もいます。問題はその集中度にあります。そこでは転移と呼ばれるセラピー上の関係が非常に重要になってくる。関係さえ良ければ、投薬をする必要はありません。関係性が安全を十分に提供してくれるからです。逆に関係が疎遠で包括的でなかった場合には、精神病になったり、無意識の内容へ落ち込みがちになってしまう。

今後、魂、ひいては女性原理が高まるだろうと見ています。右脳的な受容力をとおして物事を見るようになるわけです。これには、競合的な経済、ビジネス、農業、産業などに対する視点の転換が含まれます。ですから簡単に実現されるわけではない。それは、価値観を解体し、さまざまな仮説を立て直すことを意味している。富、車、冷蔵庫、テレビなどのような生活をよくするはずのものが、実際には良くないということになるかもしれない。食べ物や育て方も、まったく改めねばならないかもしれない。富や豊かさに関する価値体系そのものも変化するかもしれない。そして、それだけの文化様式の変化が起こるとすれば、魂がそれに追いつくには、本当の意味での混乱を経なければならない。文化変容が進行しているときは、ドラッグやアルコールが重視され、人々は荒れ狂い、蔓延するカルトに魂が引き回される。これは、文化刷新を表す典型的なサインです。死と再生のプロセスを経なければならない。

プラトンは狂気に関して「パイドロス」で多くを語っています。「予言であれ、詩であれ、芸術であれ、愛であれ、もしそこに狂気がなかったら、それは本物ではない。そして、世界はそれを聖なる啓発を受けた狂気としてではなく、病気という意味での狂気と見るかもしれない」と彼は語っています。プラトンは知っていたんです。

フランシス・ヴォーン、ロジャー・ウォルシュ

「新しい関係性」

・このプロセスは、識別、超越、統合のプロセスの一つと見るといいとおもいます。例えば、感情的なレベルでは、われわれは、最初に自分の気持ちを識別し、それを自覚するようになり、次に自分はそういった気持ちをもっているが、その気持ち自体ではないことに気付く。そういった形で気持ちと自分を同一視するのをやめるわけです。統合のプロセスはそれからやってきます。セラピーでは、まず最初に、怒りと触れ合う必要があります。そうすれば、自分は怒りをもっているが、自分は怒りではないことに気付くことができるからです。そして次に、その感情的なエネルギーを抑圧したり、自覚から追い出したりしないで、なんらかの創造的エネルギーに変容して統合する。それを捨てるのではなく、そのエネルギーが破壊的で自滅的なものではなく、ダイナミックで創造的なものになるように、知覚をシフトするわけです。それは怒り、恨み、罪の意識から心を開き、他者と触れ合い、愛を与え、また受け取ることへのシフトなのです。重荷や条件付けや感情の抑圧にとらわれないという意味での過去の放棄なのです。

・惑星の治癒を考える際には、個人の治癒に関してわれわれが知っていることから学ぶことができるはずです。まったく同じではないでしょうが、どちらも本質的には恐怖を扱っているわけですから、いくつか類似したものがあるはずです。サイコセラピーを受けてよくなってくると、自分自身の体験、自分の行動、生活全般に対して進んで責任を担うようになり、他人との触れ合いや愛の交換がうまくできるようになって、生活の中から恐怖が減っていく。国家間の恐怖、不調の原因となる個的レベルの恐怖など、恐怖がグローバルな状況の中に存在している問題の大きな原因になっていることは確かです。現在のグローバルな危機にどう対応すればいいかをかんがえる場合、内的な形で精神を取り扱ってきた体験から、何がグローバルな状況に適用できるかを見ていけばいいと思います。

・女性はどうしても被害者意識から対抗者意識へと移りがちです。そして、そのプロセスが完了すれば、創造的な局面へと移っていく。三番目へのステップがあることを認識する意味で、被害者、対抗者、創造者という展開には意味があると思います。

・わたしたちは、これまで関係性の治癒をテーマにワークショップをやってきました。関係性の治癒に関しては、相手に変化を求めるのではなく、自分に何ができるかに目を向けることが重要になってきます。関係性に関してはほとんどの人が、「彼が変わればすべてうまくいくんだけど」と思ってしまうからです。だけど本当は、相手の人がそういう人であることを受け入れ、気持ちを転換して、「では自分はこの人と一緒にいたいと思っているのだろうか。もっと仲良くするには自分は何をする必要があるのだろうか」とかんがえるべきです。そうすれば関係性を変える責任を自分自身で担うことになります。

・わたしの場合、二人の関係のある側面に不満がでてきて、何かが嫌になってきたときには、目を内側に向けて、「自分は何をしているのだろうか」という目で自分自身の人生を見直そうとしています。そういうときには、関係性に安心感を求めすぎていますから、この視点の転換で関係性へのプレッシャーがなくなり、なにか新しいことが起こる可能性がでてきます。

・心理学者キャロル・ギリガンは「イン・ア・ディファレント・ヴォイス」という本の中で、男女の発達のいくつかの違いを取り上げています。男性は一般にそんなに問題なく自立できますが、親密な関係は苦手です。女性は親密な関係は上手ですが、自立は苦手です。誰にも両方必要ですが、男性と女性にはどちらを優先するかという意味で基本的違いがある。女性の方が関係性を重視しているわけですから、現代では女性が貢献すべき重要なものを持っていることになります。もっと関係性が重視されなければなりません。学問上の関係、個人的関係、仕事上の関係はもちろんのこと、あらゆる種類の関係が重視されなければなりません。競合ではなく、協調が必要なのです。

スタニスラフ・グロフ「死と再生、永遠回帰の円環」

グロフ心理学最大の特徴は、誕生時の体験を、死と再生の元型とみなし、四つの段階にわけていることである。

「われわれが体系的な自己探求をガイドしているときに発見したのは、われわれと作業とした全員が最終的には、自伝的な誕生後の領域を超越し、死と再生のプロセス、つまり深遠な死との遭遇と誕生の体験をし始めたということです。そこでそうした体験を四つのグループにわけ、人間には無意識のマトリックスが存在し、それが基本的分娩前後のマトリックスと呼んだらどうかと提案したわけです」

○BPM(基本的分娩前後のマトリックス)

BPMⅠ
出産のプロセスがはじまる前のいまだ子宮の中にいるときの体験。

BPMⅡ
子宮が収縮し、子宮口がまだ開いていない出産の最初の段階に関連していると思われる出口なし、閉所恐怖症などの地獄的体験。

BPMⅢ
出産の次の段階にあたるもので、子宮口が開き、産道をとおるときの推進力や葛藤にまつわる不安と攻撃性。

BPMⅣ
頭と身体が出てきて、へその緒が切られ、母と子供が解剖学的に分離される出産の最後の段階。

「人生の問題を、すべて誕生時に還元するつもりなど毛頭なく、わたしが言いたいのは、
誕生そのものを宇宙的パターン、元型的パターンのひとつの現れと見ることができるということです。つまり、母との統合状態が破れ、苦痛を伴う分離を経て、自分自身を解放するために葛藤し、新たな様式の自覚に入っていくというプロセスは、普遍的パターンを示す一つのエピソードと見ることができる。生物学であれ、日常生活であれ、社会政治的な形態であれ、どこでもこのパターンを見出すことができる。自然界の季節の変化もその一つと見ることができる」

「体験的ワークから得られた所見が強く示唆するところによれば、個人の内的変容に必須の、死と再生のプロセスの成否を決定するのは、体験の持続的な内化と内的地平におけるそれらの完結にほかならない。もし、この条件が満たされず、個人が内的プロセスと外的現実を混同して行動表現(アクト・アウト)をはじめると、重大な危険を招くことになる。内的に咀嚼統合されるかわりに、本能的衝動が破壊的行動につながるのである。内なる変容における決定的なターニングポイントは、自我の死と個人の古い世界の概念的破壊にある。死と再生プロセスの外化、行動表現の極端な結末としては、自殺、殺人、破壊も起こりえないことではない」

「物理学者は、光や物質に関して、波動/粒子のパラドックスを言う。ある実験では、物質や光は、波のような属性を示し、別の実験では、物理的な粒子の属性を示す。同様に、人間を対象とする科学も、人間自身に対して逆説的証拠を集めてきた」

「人間は、高度に発達した機械という意味で、ニュートン的物体であると同時に、特定の状況下では、時空間に限定されず、線型的因果律を超越する意識場という側面を見せる」

「ニュートン的物体の属性は、生物学的機械としてデカルト/ニュートン的基準、線型的因果律という伝統的原理に従う。宇宙の小さな一部でしかなく、特定の時空間的相関関係に縛られている。ところが、非日常的意識状態で現れてくるもうひとつの側面では、われわれのアイデンティティ感覚は、個を超えてはるかに拡がり、全存在を包括し、身体自我と全存在の間のいかなる地点にも行くことが出来る」

「死をどう捉えるかという問題に戻ると、死に際して起こるのはニュートン的イメージとの体験的同一化から、意識場イメージとの同一化への移行だと思います。ある意味では、より広い宇宙的な立場に立ち、一般的なニュートン的基盤には縛られない、様々な体験領域に入っていく。われわれの真のアイデンティティは、はるかに広大なものですから、例えば、実際に生物学的危機に関連した死の体験であれ、瞑想、セラピー、トランス状態、あるいは化学物質に誘発されたサイケデリックな状態であれ、死の状態で起こるのは、限定的アイデンティティの超越と、より広い包括的な宇宙的アイデンティティへの移行なんです。典型的な死の体験では、時空間的運動から解き放たれる段階を通過する。これはチベットの「死者の書」ではバルド体と呼ばれていて、そこでは時空間の中のあらゆるものを体験することができる。たとえば、突然起こる身体離脱体験では、他の部屋にいくこともあれば、異国のようなはるかに離れた場所を体験したりする。時間を超越する場合もある。さらに段階が進んでくると、時間と空間を双方とも超越する場合があって、ユング心理学で元型(アーキタイプ)と呼ばれる神話的リアリティ・レベルへと移っていく。われわれの研究におけるもっとも重要な発見は、実際に心筋梗塞になったり、自動車事故に遭う必要なく、死の体験をすることができるということです。そのような体験は、死の体験に備えた準備になる。これらは、非西洋的な文化では、これまで絶えることなく行われてきたことです。多様な通過儀礼があり、人生の様々な重要な時期に強力な儀式が執り行われます」

・死への準備、通過儀礼

「通過儀礼」というタイトルの古典的書物では、重要な生物学的変化が起こる時期に、強力な儀式を大半の文化で執り行っていることを発見した。たとえば、誕生、割礼、思春期、結婚、老化の時期などに、儀式が行われ、一種の社会的認可として、一つの枠組みが提供される。そこでは、ドラミング、詠唱、踊り、断食、感覚遮断、感覚過剰から、荒涼とした場所に長期間とどまったり、向精神性植物の使用にいたる様々な心を変性するテクニックが使われる。こうした儀式の内容は、死と再生の体験が含まれていて、一つの段階から別の段階へと移る通過儀礼と定義されている。思春期の儀式で死と再生の体験をしたとすると、それは少年が死んで、大人として生まれるという形で解釈される。

・現代社会で死を恐怖するために起こってくる問題にどう対応するか。

「具体的な手順にとり組む前に、全体的なコンテクストに目を向けなければならない。まず第一に、西洋社会は死によって意識に終止符が打たれるわけではないことを明らかにすること、死を楽にしてくれる宇宙観を捨て去ってしまった。またあらゆる分野でテクノロジーが支配してしまい、西洋医学の目標が生命を機械的に引き伸ばす傾向を示すようになり、このアプローチは、人間的な支援を破壊してしまった。大家族が崩壊し、人間的な支援がなくなってしまい、人生体験の質ではなく、機械的な生命の延長だけが強調されてしまっている。エリザベス・キュブラー・ロスのような人が出てくるまで、心理学と精神医学においても、死という分野が心理的支援を必要としている分野だとは考えられていなかったわけです。死の恐怖への対応という問題の戻ると、医学と人間的支援のバランスが重要になってくると思います。人間として機能していないのに生命だけを機械的に引き伸ばす方針を変える必要がある。人にもっと幅広い自由を与えるべきなんです。たとえば、最近カリフォルニアでは、親族にあてた遺書の中に、しかるべき限界を超えて生命を引き伸ばさないようにという項目を設けている人がたくさんいる。生きている間に情緒的支援を取り戻そうとしているわけです。親族が死の恐怖を取り去って、死につつある人と意義深い交流をする。それによって対人関係を完結し、心理的に完了した状態が生み出される。現在の状況では、数多くの人が、身近な人にもさよならもお礼も述べることができずに死んでしまう。このことが全般的問題です。まず死に関する全般的なコンテクストや死の理解に関する宇宙論を変えて、死につつある人を社会的に隔離するのをやめる必要がある」

「心理的に死を体験すれば、そのたびにさらに生き生きとしてくる。逆説的ですが、実際に心理的に死を体験した人は、はるかに生き生きとしてくる。どういう理由によるかというと、現在の瞬間を享受する能力を汚染しがちな、死に関する過去の記録や青写真が消滅してしまうからです」

「もっとも重要なのは体験です。問題は、そうした体験を幻覚で排除するべきものと伝えるか、それとも貴重な体験であり、追及すべきものと伝えるかにかかっています。西洋文化の中では、大半の人が医者の言うことを信じます。ですから医者が物質主義者で患者にそうした体験をたわごとであると伝えたり、それらしき気配を出していたりすると、そうした体験に取り組むのが難しくなってくる。わたしのように30年精神科医として体験を積んでいる人が、それをトランスパーソナルな心の状態であると告げて、わたしの言っていることが当人の体験を確認するものであれば、患者にとって十分説得力があるわけです。大半の人がそれで納得する」

「新たに区別するべきなのは、霊性と宗教です。あらゆる宗教の根底には直接的なヴィジョン体験があったということができる。われわれはそれを現代用語でトランスパーソナルな体験と呼ぶ。予言者、宗教の創始者、聖者、偉大な宗教の指導者たちは、実際にトランスパーソナルな体験をしていた。それが彼らの宗教性の源泉だったわけです。ところが、宗教が発展するにつれて、教義やドグマの要素が入ってきて、本来の体験とのつながりが失われて通俗化してしまう。たとえば、ユングは、組織宗教の主な機能は、人々が神を直接体験することを阻止することにあるといっている。日曜日には必ず教会に行くが、いかない人に非常に批判的です。形骸化した様式に実直な姿勢が、彼らが神を体験するのを阻止しているわけです」

ジョセフ・チルトン・ピアス

「チリのフランシスコ・ヴァレラという認知科学者の話によると、ある種の実験で、一方が緑で、一方が赤いレンズのめがねを三ヶ月くらいかけていると、徐々にそのめがねをかけたままで色が普通に見えてくる。そのあとにめがねを外すと、今度はものが赤と緑にわかれて見えてしまう。もとの色に見えるようになるには、同様の時間がかかる」

・体験と理解

ババ・ムクターナンダは、音が空間を生み出し、次にその空間を光で埋め尽くし、そこからわれわれの宇宙が生まれると説明した。最初に音が生じ、それが空間を生み、空間は光となる。

ヨーガの伝統では、体験することと理解することはまったく別のものとされています。理解するということは、体験のあとで、起こったことを分析し、知的に把握することです。ところがわれわれは一般に、知的な分析から出発し、理解に至ろうとします。だか、そういった形では絶対にうまくいきません。偉大な先生は体験から出発します。体験によって知ることはできますが、理解するにはきつい作業を経なければなりません。

・恩寵によって知る体験をすることはできる。理解は自分の努力によって達成しなければならない。瞑想の二つの翼という言葉でムクーナンダは表現しています。

ひとつは、体験そのものを与えてくれる恩寵。もうひとつは、理解です。その恩寵の理解をとおして分類し、特定の枠組みに収めない限り、次の恩寵を受ける準備はできません。これは多くの人にショックを与えるようです。すばらしい体験をすると誰もが本当に何か大きな変化が起こったとかんがえてしまうからです。ところがそういった体験は散逸してしまう。体験には理解がついてこなければなりません。何が起こったのかを把握するために、努力を重ねて自分の概念的パターンに組み込んでいかなければならない。そうすれば、より高次の恩寵の形態を受け入れることができるようになります。恩寵が与えてくれる知は、常に未知であり、われわれを洪水状態にしてしまいます。それは知的に理解されなければ自分のものにならない。

重要なのはまず恩寵からはじめていかなければならないということなんです。そして恩寵を得る方法は、その状態にいる人物のハートがかもしだす気配をとおして感じ取るしかない。

吉福伸逸世界の中にありながら世界に属さない

-意識