キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

ゲーテ

ゲーテ「ファウスト一部」(1808)上昇の前兆としての下降。

2016/12/05

ゲーテの「ファウスト」を手に取ったことは何度かあったが、初めて真剣に対峙してみた。ファウスト第一部には、シェイクスピアが遠く響いているのを感じる。そして、これがゲーテの内的自伝であることも了解出来た。この上なく美しく、ここまで心惹かれる主題のものを久しく読んだことがないと思える。決して読みやすいとは言えない、なぜなら、じっくりページに映されたイメージを感得しながら読むような本で、ほとんど詩のようなものだから。わたしは、ファウスト一部を眠る前に、少しずつ読んでいき、慰めされ、心励まされ、救われる思いを得た。このような本は、所持していることが、うれしい。それは一度読んだくらいでは、汲み尽くせないような詩的結晶の宝石だからだろう。

ファウストという人物は、理性的な知を学ぶうちに、その学問の限界、人間の為すことの限界に突き当たってしまった人物であり、その時代の人間の為しうる最高の知性を得ていて、人の世では、尊敬されている人物でもあるが、彼は満たされない。より純粋な美、より真実に近づきたい、にも関わらず、遠く人間が限定されていて、相変わらず、ばかばかしいことばかりを繰り返している人間というものに対する嫌悪と疑問と絶望を感じている。理性によって、彼は高く飛んだ。より飛びたいが、その限界に突き当たってしまっている人物なのである。その為に、彼の所に、黒い犬がやってくる。悪魔がやってくるのである。悪魔は、ファウストを行為の方向へと導く。それは、悟りの反転した状態を意味するかもしれない。聖書にあるように、天に昇る者は、より深く地獄を覗き込まなければならない。悪魔がファウストを連れて行く道は、地獄めぐりである、しかし、理性の世界からはみ出て、地獄でありながらも、天国の反転であるのも確かだ。彼という存在の輪をより大きく拡大するには、より深く沈まなければならない。そうでなければ、さらに高く飛ぶことも出来ない。天と地という二分、善悪という二分、きれいときたないという二分、これらの区別は、人間が成している区別であり、多くの人間は、この二分の世界に留まってきた。この世に確かに存在するものの半分を否定し、抑圧し、影として、生きる。そのために、小さな輪の中で充足することになる。ファウストは、地獄の方向へと下降する。これによって、より高く飛ぶことが可能になるのが第二部ではないかと想像する。それは魂の救済劇となるだろう。個人的には、ファウストは、行為の超越を行おうとしており、わたしの主題と重なり、わたしの心の深部を強く癒す力を持っていた。ここに、理解者が遠く笛の音色を響かせているのを感じる。

-ゲーテ