キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

小説・物語

三十の夜に起きたこと

三十の夜に起きたこと

 

三十歳。その年齢が節目なんて本当でしょうか。派遣会社で契約社員として働いていた始めの頃、わたしは二十九歳で、そこには三十歳になったばかりの同僚がいました。彼女はショートヘアで背が高く、腰の細い、髪をよく触る、どこか気性の激しい、プライドの高い女にわたしには見えていました。
我々の仕事は、仕事を求めてやってくる人々と面談して、職務経歴とスキルと呼ばれるものを把握して、マッチング(実際には、あなたにはこの仕事が合っています!と暗示にかけるのを常套手段とします。真にマッチングすることは稀というところで、結局は本人がそう思い込むことが重要なのです。すくなくとも課長の考えはそうで、わたしにはそれに反論する気もないのです)する派遣先を紹介するという簡単なもので、仕事上は彼女と会話をする必要性は特にないのですが、コミュニケーションと呼ばれるものを怠ると、すぐに彼女は何かを起こしたがります。それは、表面上は何も起こしていないという形をとります。彼女に興味がないとしても、何一つ話さない訳にはいきません。天気の話題や、アフリカ出身なのに三味線を日本人よりもうまく弾いて有名になった人の話などをするというのが必要とされます。これが社会人なのだとわたしは教えこまれてもいるし、そういう風潮の会社でもあるのです。どこかわたしの見解にはおかしなところもあるでしょう。そうしてそれくらいの欠点を当然持つ、ごく普通のさえない男だという訳です。
とにかく、コミュニケーションを怠ると、彼女は何かを起こします。「その書き方はこうした方がいいと思う。別の人が読む時に読みにくいから!」誰も読まない書類なのです。形式的に書く以上の意味がないことは、彼女自身がよく知っているはずなのに、声も猛々しく睨むのです。「換気する時は、その窓じゃなくて、こっちの窓を開けると、風通しが良いのよ。なんでわからないの?」とか、「ひとりでチョコ食べてるし。こないだ、わたしもあげたのに、自分だけよければいいのよね、村田君は」とか、わたしも小心者なので、そうしたことが始まると、一生懸命になって、朝の挨拶、昼ご飯を頂くという挨拶、夕方のお別れの挨拶、挨拶代わりのキス以外は何でもして、彼女の機嫌、いわば存在していることを認めているよ、というメッセージとなるコミュニケーションに時間と力を費やし、まさしくこれがコミュニケーションなのだと再確認し、仕事は人間関係だ、としたり顔で語った父を思い浮かべながら、確かにそうかもしれない、などと一人アパートで焼酎を飲みながら、スルメをかじることになり、コミュニケーションへの窒息感、というような巷を賑わせている難しい話も、もしかしたらこういうことなのだろうか?と思索し、思索にならず、とにかく面倒くさいものだなと、布団にもぐるのです。
仕事の話をしても、話にならず、彼女の考えが常に正しく、しかも最新で盲点を突いているという風にわたしが持ち上げることによって、ようやく彼女は満足します。人の話に耳を傾ける気など彼女にはないし、対話ということを知らないのです。とはいえ、彼女はわたしの先輩にあたり、黙っている分には美人でもあり、なにより、わたしも家賃を払わなければなりません。今更ながらですが、しのぎということですね。恥をしのんで言いますが、わたしもしのいでいた訳です。
わたしが三十歳になる前の日のことです。彼女が課長と話しているのをわたしは聞いていました。聞く気がなくとも聞こえてくるのだ、と言い訳をしながら耳をすませていたのです。課長は三十五歳の妻子持ちで、キムタクの髪形をずっと追っている、社交に長けた男なのですが、彼は彼女に、もう三十やし、おばさんやな、とこき下ろし、次には大人の女の魅力が出てきたと褒め称え、最後には、そろそろ結婚かな?と茶化しました。普段、彼女がどれだけ自分の考えを通し、常に自分が一番と思っているところがあるにせよ、ないにせよ、相手は課長な訳ですから、珍しい愛想笑いも華やかに、上目遣いで、あまつさえ、いつもより目をウルませているような趣で(目を故意にウルませることができる女については、わたしは苦い個人的経験と、芝居を十代の頃から熱心に鑑賞してきた自負から、常に警戒しているのです)課長と目配せを交わしているのです。それが午前中のことでした。
その日の午後、取引先の会社にわたしと彼女は訪問することになっていました。わたしは彼女の心理的な傾向を封じようと、電車の中で最新のファッション雑誌を見せつけたのですが、「仕事中にやめて」と失敗に終わり、文明的な沈黙と動物的な視線が支配する電車の中で、足元を見つめ、腕時計を見つめ、ついには自らの手の甲に生えている薄い毛を発見して、その数を数え、眠気を感じ始めました。その時に彼女は方言丸出しで言ったのです。「課長、調子にのっとるわ。ダサい髪形して、あんな三十五の親父ヤローにどうこう言われる筋合いないわ。ああ、しんど。疲れるわ、馬鹿ばっかりやし、ほんま」三十歳になるというのは、そんなにも大きいことなのだろうか、とわたしは考えました。そしてわたしはこう答えました。「女性はみんな、天使で、本当は年齢なんてないんだよね」
わたしの発言は常に空気を外してしまい、やぶへびの村田と言われるくらい、墓穴を掘るのが常で、だからこそ、皆の期待値は下がっており、なんでもかんでも口に出せるという強みでもあるのですが、とにかく、わたしのありきたりの言葉はいつになく彼女の頬を赤く染めました。今思えば、それは言葉ではなく、声のせいだったかもしれません。わたしはその日、朝からずっとペコちゃんマークのキャンディーを舐めており、そのせいかはわかりませんが、声がいつもより滑らかで落ち着いていたのです。そんなわたしの思い込みとも言える見解は置いておくにしても、彼女が頬を染めたのは確かです。そして、うつむいた彼女(そんな彼女を見るのは二度目で、一度目は、社長以外は嫌々ながら集まった社員旅行の札幌の喫茶店で彼女が「おニュー」のハイヒールにコーヒーをこぼして固まっていた時以来です)は急に色気づいたのか、黒いジャケットの中に着た白いカットソーの首元が少し伸びていて、(彼女くらい仕事に熱心だと、少しくらい首元が伸びるのは致し方ないと彼女の名誉のために付け加えておきます。決して洗濯していないというほどの不潔さを示唆しているのではなく、あくまで首元が少し伸びていた、という程度です)そこに黄色人種としては最大の色白さとでもいうべき彼女の胸元がありました。急に色っぽくなりやがって、などとさすがに口には出せないことを頭の中で言ってみたり、どうも調子が狂う時間が過ぎて、わたし達は電車を下りました。下りた後、なおもわたしは「ペコちゃんマークのキャンディーどうぞ」と彼女にコミュニケーションを続け、彼女の口をキャンディーで塞ぐことに成功し、自らの口もまたペコちゃんで塞いだのです。
帰り道、我々は直帰するという連絡を課長にした後、駅前で立ち尽くしました。仕事は終わったので、ここからの時間はプライベートである、という事実、それが示唆するのは、同じ方向の電車に乗るにせよ、ここからは必ずしも一緒に乗る必要はない、という極めて都会的な、いや社会人的な状況とでも言ってよいでしょうか。たかだか会社の付き合い、仲良くなる必要なんかない、仲良くといっても、それは業務中に限る、というありきたりな状況。ここはサラっと別れましょう。わたしにも人生があり、あなたにも人生があるのですからという、社会人感覚。そのくせ、わたしはわたしにあるはずの人生で本のひとつも読まず、大抵は畳に転がって、テレビを観て眠るだけで、人生と呼べるほどのものはなく、ただ家賃を稼いで、仕事をしのいで、また繰り返すというだけなのですが。
「コンビニに寄って帰るから」
と、彼女が言うのではないか、とわたしは予測し、(こういう状況では常に彼女はそう言っていたので、予測というにはお粗末なもので、タイムカードを押す音の代わりみたいなものとして待ち望んでもいたのです)腕時計を眺め、急げば、まるちゃんは無理でも、サザエさんには間に合うかもしれない、と考えていました。(わたしはこれらのアニメを見逃すのを好まず、日曜出勤が当たり前のこの会社を、表向きはワーキングプアが続く自分を救うという名目で既に退社しています。わたくしごとで恐縮です)
「村田君、このあと予定あるの?」と彼女は言いました。
「今、なくなりました」とわたしは冗談のつもりで、胸をはって、言ってみました。行きの電車でのことがあって、わたしは少し大胆になっていたのです。ましてや、ふと見れば、職場の関係さえ忘れれば、美人で、色白で、首元が少し伸びている訳で、当然のごとく、わたしの鼻の下もまた伸びていた訳です。しかしそれは抜き差しならないものになりました。
「飲みにいかない?」と彼女は言ったのです。友人に言うような口調で。
「いく?」などと、いつになく気安く、問いで返すという形で賛同している自分がいました。
入った店は焼き鳥屋で、我々はビールを飲み、彼女が豚バラの串焼きばかり注文するので、わたしもそればかり食べて、キャベツをつまみ、彼女の語る、カフェめぐりと旅行の話に耳を傾けて、頷き、一体どうしてこんなことになったのだろう?と首を傾げないまでも、ジョッキを傾けながら、天井に流れる煙を眺めているのでした。彼女がやがて日本酒を飲みだしました。すると途端に目がウルみ、わたしは当然そのウルみを警戒しながらも、惹き込まれて、まったくなんて可愛い目をしてるんだ、と頭の中で思ったつもりが実際に口に出ていて、彼女はまんざらでもないのか、大爆笑しながらわたしの頭を叩くのでした。そしてその痛みはわたしに落ち着きをもたらしました。彼女とはこの職場にいる限り、毎日のように顔を合わせ、放っておけば面倒なことも言われる間柄。オフィスラブをするには年をとりすぎているし、彼女には確か、編集者をしている彼氏がいて、しかも音楽活動をしているという噂で、わたしのような、雑誌も小説も詩も読まない、書かない、音楽に興味がない、弾けない、歌えない男に本当に興味がある訳もなく、ただの気まぐれでしかないはずで、もし気まぐれを肯定的に捉えたとしても、無礼講ですよ、と言いながら課長が居酒屋で本音を探る時のように、酔いに任せて笑いに終わった冗談に、実は気を悪くしていて、その仕返しが、次の勤務中に、なんらかの形で、仕事上の大事な情報を伝達しない、というような形で現われないとも限らないのです。しかしそんな虚しい思考はビールの前では泡となって消え、ただ横に、三十歳の気難しく真面目な女が、急に女らしさを発揮して、優しい声を出し、カフェや甘いものの話に夢中になって、髪をかきあげ、職務中には見せない部分をごり押ししているのを、眺める自分がいるのでした。
「可愛いのよ、とにかく。世界中の虹が集まったみたいに、あたしは感動しちゃって。ううん、違うの、その猫のキャラクターが可愛いーの。なんかね」などと彼女は話を続け、トイレに行く回数が多くなり、戻ってくると化粧直しが為されていたり、香水の匂いがきつくなったりというのが続き、やがて、「ちょっと、あのとき、あたしは下駄箱のこと言ったのに、村田君は課長の靴見てたでしょー」などとわたしにも意味のわからない、思い込みのようなものを言い始めて、わたしの肩に頭をのせたり、何を言っても笑うというような時間が、時間を忘れた彼女の上に降り注いでいるという具合で、やがて強く陽気な方向に振れた針が、当然の反動で逆の方向に鋭く振れて、泥酔した彼女は泣き出しました。わたしが泣かせているように見える状況、しかし実際には泣かせてなどいないという事実、その狭間で、彼女はもはやわたしの肩に頭をのせるというところから、もたれるという段階になっていたのです。
彼女より給与の少ないわたしが勘定を払い、店を出て、彼女の華奢な身体をおんぶして歩く幸福に胸をときめかせ、二分後には筋力的な不足から疲れ果てて、重くなり、飽きてしまい、道端でタクシーを拾い、歩けない彼女をマンションまで送っていきました。
「もう飲めないわ」と彼女は言い、当たり前だボケとわたしは、頭の中で言ったりしながら、「歩ける?」と聞くと、「もう飲めない」と彼女は答えて、そのくせ、マンションの暗証番号を押す手だけは確かで、女というものはわからないものだ、と失恋後に語っていた中学時代の友人の遠くを見つめる視線(田舎の中学で、彼の視線の先には学校で飼育していた豚の小屋がありました)を思い出して、ひとり吹き出して笑い、わたしもやはり酔っていない訳ではありませんでした。
「じゃあ、水飲んで、しっかり休んでね、おやすみ」とわたしは言いました。
彼女は、わたしの鼻を強くつまみました。「もう一杯飲もうよ、村田!おまえは、後から入ってきて、あたしより仕事できるからって調子にのってるでしょ」と言い、その据わった目で、わたしを鼻つまみものとばかりに睨らみました。鼻をつまんでいる彼女の手を払い、「仕事なんかどうでもいいから」とわたしは言い、彼女をベッドまで運びました。そのとき、急に彼女の両腕がわたしの首にまわされ、次にはその急所を引っ張られて彼女の身体の上に前のめりに重なりました。酒臭いのと彼女の枕元のいい匂いが混在してわたしの鼻をさし、彼女の頬がわたしの頬に重なり、細い彼女の身体が柔らかくわたしを迎え入れて、震えていました。それから突然、温かい水が彼女の頬からわたしの頬に流れて、枕を濡らしていきました。
「年をとりたくないの」と彼女は言いました。
わたしは彼女の髪を優しく撫でました。短くカットされた彼女の髪は艶があり、水を撫でているような気がしました。なぜそんなことを思ったのかはわかりません。髪の毛が水のように感じるなんてどうかしている。でもそんなことはどうでもいい、とわたしは髪を撫で続け、彼女は小さな声で語り続けたのです。わたしはその内容の細部をほとんど忘れましたが、自分が考えていたことは覚えています。人に負けないように、がむしゃらに仕事に励み、口が悪く、真面目すぎて人に口を挟み、正論ばかりをまくし立てて、他人に余計な巻き込みをする彼女もまた、一人で暮らす三十歳の寂しい、不安定な心を抱えた、弱く、小さな人間の一人であることを、今度はわたしこそが生真面目に彼女の髪を撫でて、勝手に反応する股間とは別に、考えていたのです。
「三十の夜について、思い浮かべるの」と彼女は言い、わたしを強く抱き締めました。正確にはそれは抱き締めるというよりは、しがみつくというものでした。川に溺れた人が丸太にしがみつく、というやつです。わたしは丸太にしては珍しく手がありましたから、道徳的に咎めることのないように、丸太の手をしっかりと溺れる者に伸ばしました。
「三十の夜?」とわたしは言いました。
「生まれてから、三十回あったはずの誕生日の夜を思い浮かべるの。でも全部はどうしても思い浮かべられない」
彼女は泣きました。
「お母さんがリカちゃん人形を買ってくれて、あたしはそれを抱いてソファーで眠ってしまったのが八歳の時よ、お父さんが赤いドレスを買ってくれたのが十二歳の時。サトル君と一緒に夜を過ごしたのが十七歳の時で――」
わたしは温かい彼女の水を頬に感じながら、自分自身にひきつけて、二十九の夜を思い浮かべようとしました。それは神になろうとすることに等しいものでした。それでもわたしがはっきり思い浮かべたのは二十歳の誕生日の夜でした。
わたしはその夜、友人と夜の八時から朝の八時まで倉庫で日払いの仕事をして過ごしました。トラックが夜の間ずっと荷物を運んできます、それを仕分けし、ベルトコンベアに載せていく力仕事です。荷物を蹴ったり投げたり、乱暴に扱うのが常識という雰囲気の中、わたしの誕生日の日付がマジックで大きく書いてある、何千ものダンボールの箱が次から次へとベルトコンベアの上を流れていきました。
何度目かの休憩時、友人とオロナミンCを飲んでいた時に、日付が変わっていることにわたしは気付きます。二十歳になっていました。わたしは仕事を終えると、日払いの一万三千円を手に、朝日の中へ、二十代の始まりの中へ、入っていきました。
彼女の髪を撫でながら、わたしは自分の誕生日の日付が書かれたダンボールの箱がベルトコンベアを流れていく様をはっきりと頭の中に描いて、追っていました。自分が二十代の間ずっと、そのベルトコンベアの上にいたような気がしました。
わたしは彼女の頬に手を置き、キスをしました。彼女は自分自身をわたしの前でさらけ出しました。それは、その前後に彼女が正直に語った老いへの恐れと、恋人がいるというウソの生真面目な告白など、言葉で彼女に言いうるものと、言葉以外で表出されたものの両方でした。パッケージのように次々と交換される若いアイドルの顔や水着姿とは無縁の美しさ。自分をさらけ出した女が持つ、太陽のような美しさが眩しくて、わたしは目を伏せて、彼女のいたるところにキスをしました。肉体を使って、肉体以上のものに触れようとする神秘的な交わりにわたし達は打たれて、この世から束の間、姿を消し、夜に融け込み、ありきたりでありながら、さけることなどできない時間の中にいたことを後で知るのでした。
彼女が眠った後、時計を見て、わたしは日付が過ぎていることに気付きました。わたしは三十歳になっていました。深夜の暗闇の中に起き上がり、服を着て、その場を後にしました。これが節目なのかどうか、自分に問い、彼女のように三十の夜を思い浮かべて果たせる訳もないまま、思い浮かべ続け、タクシーに乗ってアパートに帰り、電気もつけずに朝までコーヒーを何杯も飲んで、ベッドの上に座っていました。何だか、朝日が射し込むのを待っているかのようで、それは一滴だけ残った、自分のナイーブさを、底から引きずりだし、特別に許して、あるがままにさせている、最後の時みたいでした。

 

 

 

「三十の夜に起きたこと」(2008)その他の物語: 短編小説集2003-2015より

 

 

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