キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

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「坂田のお好み焼き」(2007)

2016/07/09

友人の坂田とお好み焼き屋に行った。
焼きそばとネギ焼きを頼み、焼きあがるまでの間、生ビールを飲みながらポテトサラダと枝豆をつまんでいた。

「今日はおれがおごるよ」と坂田が言った。
「いいの?」とわたしは言った。

坂田は事情があって1日に4時間しか働けない。そんな彼におごってもらうのは気がひけたが、申し出を断るのも難しかった。
「おごるって言っても今日だけね」坂田は笑っている。

店員がやってきて、鉄板の上でネギ焼きを作り始めた。ボールに入っている生地やネギやその他の具を細長いスプーンでかき混ぜてから、鉄板の上に流し込んで円形に整える。
「のちほど、ひっくり返しに参りますので」店員は去って行った。
ネギ焼きと焼きそば、生ビール、ポテトサラダ、枝豆。わたしは坂田がいくら支払うことになるか計算しながら、彼と乾杯をした。

「おめでとう」と坂田は言った。
「ありがとう」とわたしは言った。
時間給800円で1日4時間。3200円が坂田の1日の給料で、この店を出る時に彼が支払う額は2日分にあたりそうだ。
「高橋の出世にカンパイ!」と坂田は言った。
「ありがとう」とわたしは言った。
店員が出来上がった焼きそばを運んできて、鉄板の上に置いた。
二人で焼きそばを食べた。
「遠慮しないで食えよ」と坂田が言った。

店員がやってきて、ネギ焼きをコテでひっくり返した。
坂田の顔色が急に変化したのにわたしは気が付く。彼はネギ焼きを凝視していた。見るとネギ焼きは焦げていて、表面は炭のように黒くなっている。店員は何事も無かったかのように、コテでネギ焼きの表面をパンパンと音を立てて叩く。
「また返しにきますので、焼けるまでもう少しお待ちください」
店員は去って行く。
左横のテーブルで別の店員がカップルのお好み焼きをちょうどひっくり返していた。
坂田はそれをじっと見ている。それはきつね色に焼けていて、とても美味しそうに見えた。わたしと坂田はしばらく何も言わなかった。

店員がやってきて、ネギ焼きを再びコテでひっくり返した。今度の表面も真っ黒に焦げている。わたしは店員の顔を見た。店員にとってもそれは予想外の出来事であったかのように感じ取れた。店員はネギ焼きの表面をコテでパンパンと叩いた。
「焼きあがりました。ソースと醤油とポン酢のどれかをお好みでお選びください」
「ソースで」と坂田が言った。声が小さくなっているような気がした。
店員はソースを塗った。「マヨネーズをおかけしましょうか?」
「お願いします」とわたしは言った。
ソースとマヨネーズで焦げが見えなくなった。
「お好みでかつおぶし、青のりなどをおかけになってお食べください」
ネギ焼きは少し苦かった。
「まあ、まあ、だな!」と坂田は言った。
「うん、美味しいね」とわたしは言った。
それから二人は無言でネギ焼きを食べた。
隣りのカップルのお好み焼きが見事に焼きあがっているのが見える。
「ソースと醤油とポン酢のどれかをお好みでお選びください」と店員が言っていた。カップルはどれを選ぶか楽しそうに悩んでいる。

突然、坂田は手を挙げて、我々のネギ焼きをパンパン叩いた店員を呼び寄せた。
「はい。ご注文でしょうか?」と店員は言った。
「ソースと醤油とポン酢はお好みで選べるよね?」と坂田は言った。「マヨネーズをかけるのも、かつおぶしや青のりをかけるかどうかも選べるよね?」
「はい?選べますけど」と店員は言った。
「それで焦げるかどうかは選べないんですか?」と坂田は言った。
店員はマニュアルに書いていない質問に戸惑っているのか、どういう言葉も出てこない様子で立ち尽くしている。
「焦げていても値段は一緒なんですか?」と坂田はなおも言う。「意味わかります?もう一度言いますよ。ソースと醤油とポン酢をお好みで選べるわけですよね?それで焦げるかどうかはお好みで選べないんですか?」
「もういいから」とわたしは言った。「ここはおれが払うよ、坂田。それより今から別の店いこうよ」
「店長を呼んでください」と坂田は言った。

(2007)

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