キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

プロフィール

プロフィール

2018/03/27

キクチ・ヒサシ
1978年生まれ、岩手県出身、大阪府在住。ペン演奏家、作家。
新刊「その他の物語」(短編小説集2003-2015)著書
以下に詳細プロフィールを書きます。 十牛図を借りて。(記事内の画像:十牛図 by Wikipedia)

目次

  1. 物語創造の理由
  2. このサイトについて

物語創造の理由

1

 

わたしは、5月25日に青森県十和田市の病院で生まれ、幼少期から小学校五年生までを岩手県遠野市で過ごしました。「遠野物語」が有名な土地で、わたしは小学生の頃、河童やおしらさまなどの伝統的な民話を、体育館で演じました。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の映画を家族総出で見に行ったものです。遠野市は、今でもわたしにとって夢の土地であり、材木町からすぐそばの早瀬川で、石の下に手を入れて、川魚を捕獲し、時に、数百匹を仲間と共に水揚げし、くし刺しにしては、火で焼き、美味しく頂きました。冬にはプラスティックの板を足に装着してスキーをし、かまくらを作り牛乳で乾杯、お祭りには神輿を担いで市内をめぐり、夕方には地区の皆が集まった公園にブルーシートが敷かれ、ジンギスカンを焼く鍋から煙が巻き上がっていました。隣家の物干し竿を鉄棒代わりにして折り、内緒で石を入れた雪玉を友達が知らずに投げてカーブミラーが割れ、スズメバチに刺された友達の腕にアンモニアが良いのだとわたしの黄色い水をかけて消毒、父が出張の折りには、永遠の別れのように駅で涙を零し、落ち葉やどんぐりを採集して母にプレゼント、猟師の差し入れで、恐れながら熊肉や兎肉を頂き、金曜ロードショーの「風の谷のナウシカ」が観たくて、九時就寝の戸の隙間からこっそり画面に目を向けていました。「キャプテン翼」を愛好し、サッカークラブに入りたかったが、なぜか言い出せず、そろばん塾に通い、隣家を壁にしてボールを一日中蹴り続けて、叱られていました。ある陽射しが強い日に、飼っていた鶏がぐったりとして動かなくなり、家族皆で、神社の裏山に埋め、手を合わせて目を閉じました。この頃、母親が言いました。

「お前は、将来どうなりたいのや?」
「中学校の次は何?」
「高校だよ」
「じゃあコーコーに行く。コーコーの次は何?」
「大学」
「じゃあダイガクに行く。その次は?」
「大学院かな」
「ダイガクインに行くよ、ぼく」
「そのあとは、どうするの?」
「お庭で思いっきり遊びたい」

2

 

小学校五年生の頃に、衣川村に転校し、毎年初詣に、平泉中尊寺に行きました。仲間と滝の近くにテントを張り、サッカー部が存在しなかったのでバスケット部に入り、フキを集めて農家に売り、毎深夜二時まで小説を読むようになりました。水沢高等学校に進学すると、新しい仲間と共に、我が国における教育を味わうこととなりました。水沢高等学校は、小沢一郎と吉田戦車の母校を名乗る進学校でした。机にかじりつき、あるいは、「勉強などしていない」と主張する成績優秀者を尻目に、わたしは、ハンドボールに青春を捧げ、成績を下げ、隣の部屋で眠る下宿屋の女将のイビキに悩まされる三年を過ごしました。受験勉強は、北野武の映画を観ることを意味し、「ソナチネ」「HANA-BI」といった名作に目を奪われ、以後、社会生活はわたし自身の疑問を映し出す鏡となりました。 センター試験は、惨憺たる結果の中、現代文だけは満点で、その結果のみを受験に流用できる私立大学の存在を知り、わたしは即刻応募し、京都にある私立大学の法学部に進学を果たすこととなりました。

大学生活は、音楽と文学と映画と服飾とアルバイトとひきこもりを専攻し、単位を取るためには、試験前に徹夜で法律書にかじりつかなければなりませんでした。この頃、日本文学と呼ばれる分野を体系的に読み込み、わたしは物語を書こうと試みましたが、一行も書けず、気付いたときには、就職活動用に購入したスーツが、部屋の隅で新品のまま埃をかぶっていました。卒業式前、まだ二月のうちに頭を丸め、わたしはアパートを引き払い、斜陽を眺めながら古都を落ちて、大阪にアパートを借り、労働生活に入りました。

3

 

会館の皿洗い、印刷所の製本作業、塾の個別講師、コンサートスタッフ、カラオケ店員、倉庫作業、交通量調査、スーパーの魚売り、ネットカフェ深夜店員、劇場ウェイター、データ入力、遊園地スタッフ、庭剪定補助、 時給八百円から九百円の週五日間。そして、ヘミングウェイ、カフカ、サリンジャー、カポーティ、フィッツジェラルド、チェーホフ、ますますわたしの胸に輝き始める夏目漱石と宮沢賢治。小津安二郎、黒澤明、北野武、黒沢清、デヴィッドリンチ。BECK「One foot in the grave」Radiohead「KidA」 BobDylan「Like a rolling stone」

「お前は、将来どうなりたいのや?」
「人々の存在を本来的な所まで高めること。内側がそう言っている」
「それは何なんだ?」
「わからない」
「もうお前もいい年だ。最後のチャンスだ、正社員になりなさい。皆と同じようにするんだよ」
「いやだ」
「本当にいいんだね。正社員としてボーナスを貰って、定年後の豊かな生活を確保する最後の機会だよ。ほとんどの人が心ではなく、慣習や組織に従っているというのに」
「わたしが自分の心に従って、どうしていけないんだろう」
「声が震えてるな。もし、お前が内なるものに従うというのならば、外の世界に対して代償を払わなければならないよ」

4

 

わたしは外の世界に代償を払い、孤独の中、深夜の公園で弾き語り、小さい物語を書いていきました。27歳の時、「サンフェイス」(2005)という作品の後半部を、徹夜で一気に書き上げたとき、私は生きていると感じました。つかまえた、と思いました。熱を持って、作品執筆に取組み、それと共に、自分が何をしているのかがわからなくなりました。作品が完成すると、ただ静寂がやってきました。心の奥底に牛を見出し、それが、わたしを超えた本能の動きであり、これまで「わたし」だと思ってきたものは微かなもので、牛の方こそが本体だと思いました。あるがままに。心のままに。古人が石碑に刻んできたものは本当だと感じました。牛の歩むままに。しかし、社会に所属すること、外的な評価、地位やお金、集団からの承認を得ることに多くの人が適応している中、一体わたしはどこに向かっているのか、牛の歩む方向に?わたしが自らの道を歩み、心のままであればあるほど、確かに古人も歩んだにせよ、わたしの場合にも未踏の道を歩まねばならないのでした。

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それは、以下のようなものでした。
「人は、意識的に、あるいは無意識に、誰かの創った世界観の中に所属し、それと知らずに、護られている。節分の日に、老若男女が恵方巻を購入しに、スーパーで押し合いへし合いしている。彼らは、他者より先にと恵方巻に手を出しながら、『節分』という世界観の中では手をつなぎ、集団幻想の中に所属し、癒されている。たった一人で、自分のための儀式や習慣を持つことは、集団からは理解しがたいものに見える。そして、新しい道を開いてきたものは全て、最初は、そのように白い目で見られてきたことを歴史は仄めかしていた。足が生えた魚が初めて陸にあがってきたときように。サッカー選手は、プレーしている間に、サッカーという競技やルール、その世界観に疑問を持たない。ルールという有限の中で、無限の躍動がプレーされ、人はパスをし、ドリブルをし、ゴールを決める。もし、サッカーをプレーしながら、サッカーという世界観に疑問を感じるというのならば、彼は瞬時にプレーすることは出来なくなる。これが現在の社会では、やまいの方向として見られているものだ。しかし、新しい創造をしようとするのならば、世界に馴染めないことから始まるに違いない。わたしが、現在広く行き渡っている世界観の中で喜びをうしない、そこに所属出来ない、という正直な心のままに生きていこうとするのならば、精神的な危機がやってくることになる。そしてそれはやってきた。しかし、その危機の内容を他者に話したとき、彼らには、不気味なものとして映り、理解不能な戯言のように聞こえることが、わたしにもわかってきた。もっともなことだった。皆がサッカーを楽しんでいるときに、その外の話を誰が聞きたいだろうか。もし、わたしがこの時代精神において、どこかで皆が感じているような世界観のほころびを、新しく創造し直すことが出来れば、人はそれを歓迎するかもしれない。しかし、前段階では、信じるべき枠がなくなり、真の自由という危険に人を投げ入れることになり、それは精神的な負荷が強く、勧められることではない。わたしは口を閉ざした。他者に理解出来ない内容に囚われ、誰かを師と仰ぐことが出来ない以上、もはや、わたしの生命にとって本当のことを語るべき場所がないのだった。これによって、わたしにとって、書くこと、物語を創造することは、新しい意味を帯び始めていた。賞を取ることも、賞賛を受けることも、お金を稼ぐことも、すばらしいことだ。しかし、それも生きているからこそのことで、副次的なことでしかない。今では、わたしが生き延びるために、創造するように強制してくる圧力、そのエネルギーに形を与えるために、書かなければならなかった。まずは自らのために、そのくせ自分にはコントロール不能な心の赴くままに。わたしが本気で信じることのできる物語や神話を創造しなければならなかった。わたしは逃げたかった。誰にも届かない仕事をたった一人で行うことの苦痛が、終始圧迫してきた。楽しいイベント、温かい人間関係、気安い冗談、そういう中にいたかった。にも関わらず、牛がどこまでも追いかけてきた。それは個人的なことでさえなかった。ただ、間欠泉のようなものが開いて、常時その噴出する熱い液体をどうにかしなければならない。暗い道が続いた。しかし、わたしはひとりではなかった。周囲に事物があった。自然があった。そして死者たちが光を持ってきて支えてくれた。夏目漱石は、ロンドン留学時に、暗い魂の危機の中で、自己本位を掘り当てた。以後、彼は小説を書いた。師同然のフロイトと離別したユングは、方向喪失の精神的な危機から、分析心理学を創始した。南方熊楠は、てんかん発作に苦しめられ、あらゆる気晴らしが通用しなかったが、粘菌類の厖大な研究によって、そのエネルギーが収まった。彼らは、慣習や組織に収まらず、己の心に従い、明らかに、人類の意識の更新、世界観の更新に関わっていた。彼らは、集団意識に新しいものを付け加えていた。全てのビジョンは、個人の心から始まっていた。わたしたちが外的に目にすることができる、人類が創造したものは全て、内的な創造が先で、その結果、形をとって、わたしたちの世界を創っていた。このパソコンでもアイフォンでも、創始者の内的ビジョンにその外形は依存していた。精神的なものはすべて外側に形を取ることを望んでいた。不可思議な流動する世界に降り、化け物を倒し、剣や宝物を世界に取り出してくる英雄神話が、なぜあのような物語の形を取るのかが、段々わかってきた。精神的な仕事が、全てを生む源であるため、まず、それは夢の形で感得されるのだ。人類の意識は驚くべきスピードで発展していた。主観と客観、信仰と科学の分裂は、更に一段高い、人間存在という乗り物から見える主観によって、世界を包んでいた。その高次の主観は、信仰と科学をも包含していた。わたしたちが意識できるものだけが存在していた。人は普通、お腹が空くと、本能的な切迫が生じ、他の生命を狩猟するなり、採集するなりして頂き、腹を満たし、生存するように導かれる。同じように、精神的な切迫が生じるのは、意識更新の仕事を行うように命じる本能の強制で、個人の意識更新は、広く伝播し、それは人類の種を保存し、誤った狭い利己意識によってエネルギーが使われぬよう、創造へシフトさせようとする根源的な動きに思われる。(目に見えないにも関わらず、精神世界の広がり、高さと深さは、収容所を生き残ったフランクルが書いているように、生存に有利に働くライフライン、資産であった)これによって、わたしの身体に生じる圧力の意味がわかってきた。それは創造に駆り立てようとする本能の動きであった。違和を感じる、何か馴染めない、そのような者達こそ生命の声に耳を傾けている者かもしれない。もし、わたしが創造エネルギーを使用せずに、わたしの中に留めてしまえば、それはとげとなり、生命が枯れてしまう。それは、表に現れることを望んでいる。光を目指して伸びる芽のように。精神的なものは全て、実現しようとする。それは利己的なものではなく、人類全体に寄与するために仕掛けられた本能の導きである。表現せよ、それは社会的名声とは何の関係もない、他人の顔色とも関わりない、木が伸び、花が咲くのと同様に、自然なことだ、表に現すのだ、そういう声がわたしの中にこだました」

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わたしは10年の歳月を使いました。牛が引っ張り、生活費を稼ぐために外的な要求がわたしを引っ張り、これらに和を与えることが出来るとは思いもしませんでした。わたしは書きました。『その他の物語』に収録した21編の短編小説はそのようにして生まれました。長編小説「話の途中」(2008)では、学生時代を共時的に書きました。幼馴染のハルミツと、同級生のダイスケが蘇り、現在の地平で自由に動き始め、物語が生じ、洞察と機知が生じました。執筆している八ヶ月の間、わたしは彼らと共にいました。書き尽くすと平安が短い間訪れました。これらの作品は、わたしを確信に導いた道程の結果であり、自分の足で物事を確かめたその足取りでした。「クリスマスに降る夜」(2015)で到達したものは、今後の更なる表現活動への足掛かりとなっています。

「お前は、将来どうなりたいのや?」
「将来ではなく、現在にいることにした。わたしの生命に対して本物であることにしたよ」
「どういう意味なのかな。君は変な人で、誰にも理解されないだろう」
「こういう意味だよ。お庭で思いっきり遊ぶことをわたしの生涯の事業にしたのさ」
悪魔は笑った。
「あなたは、悪魔の形をとってわたしの所へ来たけれども、今ではわかっている。わたしが生命に反したとき、あなたは悪魔の形を取る。わたしが生命と共にある今、あなたは消えていく。そうして、わたしの胸の中で、ずっと一緒だよ。今度は喜びの形を取って。これまで、どうもありがとう」

わたしは、「コトバの塔」を建設します。5月の間に、まずは100,000字の研究成果をここに無償開放します。バックアップとして、Auroraダイガクを創設(永代総長として宇宙登録済)今後、このダイガクの学生と教師と食堂員などを龍動的に兼ねます。

他方、内的宇宙開発事業に着手、ペン演奏音源も随時開放。古の知を現代につなげ、生きる智慧をライフラインとして提供します。お庭で思いっきり遊びたい方々を随時お待ちしております。

キクチ・ヒサシ

このサイトについて

当サイトは、出版情報提供、物語の公開(フィクション)、意識研究を主とする成果の発表、芸術全般のレビューの他、雑記やコラムを執筆します。執筆のご依頼やお問い合わせはtwitterDMかメールでご連絡ください。

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