キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

ルー・リード

ルー・リード追悼文(1942-2013)

2016/07/08

ルーリード

世界を背負う亀の像を見たことがある。それについて特に考えることはなかったが、ルー・リードが昨日、黄金の光と共に地上を離れて飛び立ち、夜空の星となった今、世界観を支えた父の一人、ルー・リードという名でわたしが知る男が、尊敬し、憧れていた偉大な詩人が、見えないところで、わたしの何を支えていたのかを確かめるために、彼の曲を鳴らして、今では文字通り魂となった男の声に耳を澄ませている。

わかっている、わたしはあなたの声に出会ったが、あなたに出会ったことはないのだから、その声は、既に普遍的な声であり、我々がやってきて、やがて帰っていく空白からやってきた風であり、あなたは初めから魂の声としてやってきて、そして今、肉体が去ったのだと、去った場所は、あなたが深い水を汲んだ場所であり、わたしは哀しみ、哀しむ必要がないのだということは、わかっている、わかっていない。あなたが完成したのだということ、あなたを惹きつけた生命の根源へと、殻を破ってあなたの吐息が世界中を駆け巡った奇跡の瞬間の数々が既に果たされている世界へと帰っていったのだと。その神秘と、目に見えない世界と再び結婚したのだと、わかっている、わかっていない。詩の朗読のような、その朗読がメロディを取るようになる少し前の季節の語りのような、詩の朗読、語り、歌などという境界線など平然と飛び越えて、「WALK ON THE WILD SIDE」ワイルドサイドを歩け、とあなたは青き時代のわたしにささやき、その時代につきものの夢と挫折、感傷や絶望や憂鬱や空虚に対して、「パーフェクト・デイ」の哀しげな旋律を鳴らして応え、あなたがごく普通の日常を、完璧な日と書くとき、歌うとき、それは形がないにも関わらず、硬く輝く石となって、わたしの胸元に光って強力な護りとなり、いつか到達できるであろう領域の指標となり、その石版には「詩人、ルー・リード」と深く刻まれ、六畳一間であなたの声に耳を澄ませている青い男に希望を持たせ、その希望は、絶望と希望などという二元に絡めとられない、真実に目を開くような強度の希望で、響き渡っている。「ベルリン」の通りを歩いていく彼は、子供のようにじっと足元を見つめていた。しかしバーの前を通りかかったとき、彼は音楽の演奏を耳にした。彼は入って行って歌わなければならなかった。それが彼の命の運ばれるところだった。それが彼の命の運ばれるところだった。彼は死ぬのを恐れてはいない。友達はみんな、彼のことをアラスカと呼ぶ。

「But she's not afraid to die.All of her friends call her Alaska.When she takes speed,they laugh and ask her.What is in her mind,What is in her mind.It's so cold in Alaska」

あなたは何千人の声を持って歌い、詩を響かせ、今では、わかっている、わたしの胸で、あなたが深い泉から汲んだ水が、わたしの胸で震えて、水と土は下方に向かうものにも関わらず、身体の上の方、特に顔の、眉毛の下、頬の上、瞳の位置から、水が流れ出て、今、あなたが掬った水は、わたしを通して、世界に流れ出て、やがて蒸発し、万の水と合流し、あなたが今いる場所へとたどり着くであろうことを確信して、何百万人のわたしが、時を重ねれば、何千万という人々が、あなたを哀悼し、曲に耳を澄ませ、夜空を見上げている。ヒーローが投影だとしても、それには普遍的なレベルがあり、その投影を消すことは不可能で、むしろ、必要不可欠であり、そのような投影を、世界を支える亀のような投影を引き受けるに値する職務、生命が課す職務をあなたは果たし、己の蛇が指し示す道をあなたは忠実に生きただけにも関わらず、あなたの命は詩人として使役され、その職務をこなす者をかつては天使と呼び、あるいは菩薩と呼んできたのであり、人間とは死者を含めて人間であり、人類が生き続ける限り、あなたが汲んだ水は生き続け、後続の者達に優しい雨を降らせる。哀しみが確かに存在することが、わたしたちが楽しい歌を歌い続ける世界の根底なのだと。「僕はもう時間を無駄に過ごすのをやめた。誰かが彼女の両腕を折ってしまったんだ。(SAD SONG)」哀しみの水が、青い星を満たして、雨になって、虹がかかり、そして楽しい歌が聞こえてくる、そういう完璧な日に、わたしはあなたを想っている。信じがたいほどに大勢の人を支えた、美しい風の出処であった男、ルー・リード。

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-ルー・リード