キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

黒澤明

黒澤明「素晴らしき日曜日」(1947)イメージが内的資産として人を豊かにする時。貧しいカップルの歌と月とオーケストラに大拍手の夜。

2016/07/09

黒澤明「素晴らしき日曜日」(1947)を観ました。この映画は、黒澤明晩年の作品につながるものが、数多く認められ、黒澤明特集という祝いを行う者としては、感無量の時間になりました。敗戦直後の東京を舞台に、カップルが待ち合わせをします。男は手持ちが少なく、デートと言ってもどこにも行けない、とすねています。15円が手持ちで、女の方は20円で、二人合わせて35円しかないのです。こういう気持ちわかるなあ、とわたしは見ていました。何とも心細いような、たいしたことじゃないのに、世間のお金で楽しむ風潮から外れてしまっているということの孤独を感じるような、単に情けないような、そんな気持ちがするものです。本当はそんなことはないのです。映画は、イメージの力を、芸術の力を描いていきます。それは物質的豊かさを超えて、新しい文明を、生き方をスタンダードにしようとしている、わたしたちに重なって迫ってきます。今、観るべき映画だと言えます。後半から一気にイメージと生命が走ります。

お話は、かつて、大衆店ヒヤシンスをやる夢を観ていた男が、戦後、世間ずれしてしまい、夢を失い、お金がない現状に失意の状態にあり、励ましてくれる女と共に日曜日のデートをしていきます。物質的豊かさにない二人は、無料の住宅展示を見たり、動物園に行ったり、公園で子供たちと野球をして、商店のガラス窓が割れて、賠償したり、買ったおにぎりをホームレスの子供にあげたりします。知り合いが経営するキャバレーを無料で利用しようとしますが、歓迎されなかったりもして、落ち込んだり、幼心を取り戻したり、前半は不安定な心が散見されます。女は、広告を観て、交響曲を聴きにいこうと提案します。B席が10円なのです。二人は、コンサート会場に行きます。しかし、ダフ屋がB席を買い占めて、15円で販売しています。二人は、もう30円も手持ちがありません。男は、怒って、ダフ屋に迫りますが、逆に囲まれて殴られてしまいます。雨が降る中、二人は、男のぼろくて古いアパートに行きます。失意の男と励まそうとする女。詳細を省きますが、女の心に打たれて、男は気持ちを新しくし、晴れてきた外に出ます。そして、ブランコに乗り、月夜に歌います。

出た出た 月が
まるいまるい まんまるい
盆のような 月が
隠れた 雲に
黒い黒い まっ黒い
墨のような 雲に
また出た 月が
まるいまるい まんまるい
盆のような 月が

黒澤明の最後の映画「まあだだよ」(1993)を五回は観て、拠り所としてきた人間にとっては、ここで月の歌が出た瞬間に、電撃が走ります。1947年の時点でも、この歌が、戦後の民に向けて、歌われていたのでした。「出た出た月が、まるいまるいまんまるい、盆のような月が!」一緒に歌わずにはいられません。人類の歴史の中で、歌が庶民のそばにあり、いつも励ましてきたように、石を掘る過酷な仕事には、いつも歌があったように。二人を、そして、わたしたちを包み込みます。この美しい青い星にあって、お金がなくても、物質に囲まれなくとも、わたしたちには、歌があり、月があるのでした。日本人は、月夜を眺めて、数々の俳句を詠んできました。象徴を好み、イメージ世界の実在を尊ぶ伝統があります。物質的文明を超えるとしたら、学ぶべき伝統を持つ国の一つが、わたしたちの日本であると言えます。それから、二人は、何もない空き地に、大衆の為の喫茶店ヒヤシンスのイメージを広げ、どこに机を置くのか、何をサーブするのかを話し合います。そうです、物質がないが、彼らには豊かなイメージがあり、それは、このブログをご覧の皆さまがお気付きの通り、商業的失敗作と呼ばれ、今では芸術的傑作でしかない「どですかでん」(1970)の中で、見えない電車を運転する少年のパントマイム、貧しいホームレス親子がイメージの家を建築していく場面と全く同じことが繰り広げられるのです。東洋人にとって、悟りとは、色即是空、空即是色とは、目に見えない実在を尊び、簡素で質素な生活の喜び、美しさにつながってきたものでした。現代では、ミニマリストや断捨離やiPhoneを創造したジョブズが禅にヒントを得ていたように、装いだけをかえて、古くからのシンプルで良きものが、わたしたちを再び包んでいます。黒澤明映画は、イメージが人の心に与える力を表現していきます。最後は、公園の音楽公会堂のようなところで、男はオーケストラを指揮すると言い出します。透明人間たちを指揮して、音楽を奏でると言うのです。

「君は信じるかい?今日は俺たちの人生でもっとも美しい夜になるぞ」女は観客席に座り、男を信じて、指揮を待ちます。しかし、風が吹き込み、音が聞こえません。男は、再び落ち込みかけます。しかし、女は、映画「独裁者」のチャップリンのように、画面の前にいるわたしたちに対して、拍手をお願いしますと訴えます。貧しいカップルのために、あたたかい拍手をお願いします、と語り掛けてきます。わたしは、盛大な拍手を鳴らします。彼らの心は、時空を超えて、わたしのもとに届き、表層では単にテレビの前の男でしょうが、深層では、その魂の舞台の観客となり、二人に拍手を贈っています。オーケストラが鳴り、音楽が響き渡ります。聞こえます。戦後の日本にあって、貧しい中、うつくしく生きるカップルたちの姿が、見えます。

 

-黒澤明