キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

北野武

北野武 「ソナチネ」(1993)

2016/07/09

北野武監督の「ソナチネ」(1993)を久しぶりに観ました。これは大人の夏休みなんですね。あっけない死の描かれ方、土俵の中で揺れている人間の姿がなぜこんなにも私を気持ち良くするのでしょうか。主人公はヤクザで、沖縄の組から助力を頼まれますね。主人公は乗り気じゃないんですね。「ヤクザ疲れちゃったよ、俺」なんて部下に言ったりもしている。しかし断ることもできずに沖縄に行きます。すると沖縄の親分は、「こっちは別に助けはいらないからって断ったんだけどね。そっちの親分がどうしてもっていうから。こんな大げさにしたくなかったんだけどね」と言います。そして、話し合いで?済むような件だったのに、主人公達が沖縄に来たことで、相手もやる気になっちゃったみたいで、とも言われます。この不条理の線ですね。この線が、大人達が日々目撃している不条理なのですね。行きたくないけど仕方なく行ったら、行った先は来なくて良かったと言う、そして、助けに行ったことで、話が余計に大げさになってしまう。主人公はそれを感じていますね。でも何も言わないのですね。彼にはそういうことがわかっているのですね。

ヤクザ同士の抗争、という風に観客は先入観を持ちます。しかし主人公達は沖縄の美しい海の側にある小屋(隠れ家的)で特にすることもなく、日々を遊んで過ごします。砂浜で花火の打ち合いや、ロシアンルーレットの真似事や、落とし穴を作ってみたり、フリスビーを投げてみたり、雨で身体を洗ってみたりですね。ここがこの映画の見所ですね。東京で疲れた大人の夏休みなのです。ひじょうに美しいです。もっとも美しいのは、ティッシュペーパーの箱を切って、紙相撲をするシーンですね。台を指でトントンと叩き続けることで、紙製の相撲取りが揺れて、そしてどちらかが倒れるか、土俵から出たらおしまいというやつですね。あんまり暇なヤクザ達は砂浜に土俵を作り、向き合った弟子二人を紙相撲に見立てて、土俵外の砂を叩くんですね。弟子の二人は紙相撲みたいに、ぎこちなく土俵の中を揺れます。楽しい、おかしいシーンという感じで撮られますね。でも、それだけじゃないのですね。人間社会の外、論理の通じない外、土俵の外で、誰かが地面を叩いている、その振動に翻弄され、揺れる人間の姿が寓話的に立ち上がってくるのですね。だからおかしいけれど、とても悲しいのです。そして美しいのです。外側からの刺激によって翻弄する我々の姿を写し取っているからです。一見すると馬鹿騒ぎをしているその姿、何がおかしいのか、なぜこんな紙相撲の真似が面白いのか、それは哀れな我々の姿を映し出しているからなのです。だからこそ、私はそこに誠実さを見て、心を打たれるのです。この大人の夏休みにどのような終止符が打たれることになるのか、なぜこの映画が世界の映画100に選ばれたのか、もしあなたがこの映画を未見でしたら、是非確かめて欲しい、とおすすめしたい気持ちでいっぱいです。もし、あなたが時に人生と呼ばれるもので疲れる日だってあるのだ、何かが足りないのだ、落ち込んでいるのだ、というときがあれば、この映画はあなたに寄り添い、美しい感触と、失った子供心を思い出させてくれるかもしれません。少なくとも私にとってはそうなのです。

淀川長治、北野映画を語る/ソナチネ動画(追記2016年6月13日)


北野武「ソナチネ」クランクアップ動画

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