キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

コトバの塔

暗闇の中に閉じ込められた経験

2016/11/21

暗闇、漆黒の闇、完全な暗がり、そのようなものに恐れを感じる自分自身に出会ったのは、二十代の頃、清水寺でのことだったとおもう。そこには、地下通路があり、階段を下りていくと、何も見えない暗がりが広がっていた。入口に、母胎返りのような表記があったような気がする。詳しく見ることなく、観光地の客寄せと理解し、何気なく足を踏み入れて、わたしは狂いそうなほどの恐れを感じた。その構造がどうなっているかを知らない、その未知の中にいて、前に進まなければならず、何かに頭をぶつけるのではないかと腰を低くして手すりに掴まった。空気の感じからして狭く、高さや先も見えない、構造もわからない。この暗闇の中を進んでいき、出口まで歩かなければならないことが、恐ろしく息苦しく、頼りない気持ちがした。気が遠くなるほど歩いたような心持ちで、ようやく小さな光を浴びた何かの文字に辿り着いて、歓喜するほどに光が愛おしい。その光にしがみつきたい気持ちを抑えながら、さらに進まねばならないことに恐れを感じながら、わたしは闇を進み、やがて階段を上がり、昼の光の中に戻った。たったこれだけのことが、非常に恐ろしい体験であった。他の客などは、そこまで恐れている風にも見えなかった。常軌を逸して畏れたのは、わたしだけのようにさえ思えた。おそらく個人的な何かではあった。これを創った者の意図はわかる。光というものが何であるのかを、頭で知るのではなく体験させるものであるから。産道を抜けてきたことの再体験であるから。そして、公の寺であり、多くの人間がこの体験をしているのであるから、確かに闇ではあるが、きっと安全に出ることが出来るだろう、と考えられるはずなのに、わたしは、この暗闇のトンネルを、途方もない危険として捉えているのだった。それは暗いだけではなく、狭いということも、重要な点だったのかもしれない。自由が利かない、見晴らしが悪いということを、わたしは普段から嫌がる。それとも、わたしの精神状態があまり良くなく、ダイレクトに闇に反応したとも考えられる。色々なことが考えられた。この体験への恐れ方は、わたしの普段と比べて、明らかに逸脱しており、なぜここまで暗闇を恐れたのか、ひっかかるものが残った。次第に、わたしは、古い記憶の中を旅して、闇に対する恐れ、闇というものに極度に反応してしまう自分自身が創られた契機となっている場所へと辿り着く。

それは幼少期であり、おそらく小学校に通う前だと思う。当時、わたしが住んでいた借家に、四畳半の部屋があった。玄関から入って居間と寝間がある方向の逆側で、台所を挟んで、トイレと風呂場の近くにあった。その部屋はまだ日常的に使用しておらず、荷物がいくつか置いてあるだけの間だった。父親は、わたしがわるいことをしたと叱りつけると、その暗い四畳半の部屋に入れた。叱られる理由は、箸の持ち方であるとか、子供の自由さに対する矯正的なものを意味していたと思う。わたしはその電気の点いていない真っ暗な四畳半の部屋に閉じ込められる度に泣いて叫んだ。暗闇の中に閉じ込められているのが、恐ろしくて仕方がなかった。何をしてその暗い部屋に閉じ込められたのかは、具体的には思い出せない。ただ暗闇の中にいることが恐ろしくて、反省などしていなかった。ただ闇が怖かった。閉じ込められているのが怖かった。この経験は、思った以上に、わたしの中に強く残っていて、幼い剥き出しのこころにこびりついて、プログラムされたのだろう、それは、この世界は恐ろしい所である、という信念を植え付けたかもしれない。確かにそれは事実になった。何もわからない純真な子供が、暗闇の中に閉じ込められることがありうるこの世界は、危険以外のなにものでもない。つまり、闇に閉じ込められることで、世界は危険になった。そして、信念が生成されると、それは現実を創り続ける。幼い子供とは、父母に世界を投影し、神を投影している、防御を持たない潜在意識が剥き出しの状態であり、それは、親をマスターとして、催眠を受けている状態と同じ事である。親の言動が、子供にプログラムされる。これが時に、負のサイクルとなって、連鎖していく。わたしのこれまでの人生を振り返って、自己認識に努めたとき、必ずこの暗闇の部屋に辿り着く。両親から受け継いだ信念体系、おそらく先祖から続いてきたパターン、世界観、これと戦い、この鎖を断ち、自らを解き放とうと格闘してきたのかもしれない。この文脈では詳しく語らないが、わたし自身に、歓迎すべきできないものが、受け継がれているとわたしは感じていた。それは、いずれかの代で終わらせなければならない。わたしがこのことに無意識であれば、それは次の代に影響を及ぼす。周囲にさえ影響を与えている。わたしは、暗闇を恐れ、なぜか人間の暗闇に近づき、それは自らの闇でもあり、そこに光を灯そうと、はたから見れば、理解不能に苦しんできたのだろう。それは闇への親和性として、長所としても立ち上がってくるのであるから、運命が布置したのかもしれない。わたしは、表層の人間社会から早い段階で吹き飛ばされ、理解不能な闇、外と内の闇の恐れから、いちいち検証して理解しなければ歩めず、いわば基本的信頼感を持てずに来たのだろう。生得的な、生命の力が時にわたしを救う。そして再び、力の餌食になる不安定な様式を繰り返し、その為にこそ、新しい世界観を創造し、それを自らにプログラミングしようとしてきたのかもしれない。そのことについて誰を責めることも出来ない、父親は何も知らない二十代の若者だった。慣習と鎖の力の餌食になっているに過ぎない。社会一般の意識レベルも、歴史が示す偉大な意識レベルには達していない。そして、暗闇に近づくことで、この世界の神秘に近づく機会にもなってきたのだから。人間社会には、人間全般には、多くの闇があり、それは光を灯されることを待っている。わたしに生じたことは、よりひどい形で、多くの人間が味わってきた歴史の一部にすぎない。わたしのような繊細さを所持する個体が、しあわせなことに、幼少期の体験に完全に潰されることなく、戦ってくることは出来たのだ。むしろ利点としてこれたのだと信じる。しかし、本来幼少期に、このような体験をする必要はなく、それは間違っている。そして、もはや不要である。この恐怖プログラム自体は、わたしの中から根絶すると宣言する。

同時期のことで強く記憶に残っており、何度も思い出してきた経験がある。同じ家の居間にいて、父親にわたしが激しく叱られている場面である。わたしは、叱られている。叱られている理由は意識していない。わたしは、涙を流している。声をあげて泣いている。「すぐ涙を流せばいいと思って」と罵倒されている。そのとき、わたしは、泣いている自分の背後に、もうひとりのわたしが立ち上がって、冷静に泣いている自分を視ているのを感じていた。その背後のわたしは、とても落ち着いており、少しも泣いていなかった。わたしは、少しも悲しくないのに、泣いている自分が目の前にいると感じていた。目の前の泣いている自分ではなく、背後の冷静な方を自分自身だと感じていた。「何も感じていないのに、目の前の方の自分はどうして泣いているんだろう」と思った。この記憶は、度々思い返してきた。子供心に不思議で、印象に残ったのだろう。わたしは、このことを母親や級友に話したことがある。特に、何らかのヒントは得られなかった。今思えば、これは、はっきりした意識が現れた瞬間なのかもしれない。あるいは、幽体離脱と言うには、小さすぎるが、子供にとっては生存に関わるような事態であるから、(世界を代表する父親に激しく責められていることは、幼子にとって危機である)身体から逃避して、その背後に意識が抜けたような感じもイメージされる。しばしば、恐怖や不安の状態で、現実逃避して、変成意識状態に入る例が書物で報告されているが、それにも少し似ている。いわば、現実から乖離したという風にも見える。ユングは、幼少期に、ナンバーワンとナンバーツーと二つの人格を自らに見出したことについて書いている。それに一番近いかもしれない。生命の方の人格で、落ち着いていて智慧を既に持っているものが、人間意識には備わっているのかもしれない。それは人間意識の闇に棲んでいて、時折姿を見せる。それはわたしというよりも、わたしを超えたわたしであり、何億という時間を旅してきた生命の方の人格なのだろう。振り返ると、この人格の方が度々現れて、それで、わたしは何度も助けられてきたのだとわかる。

陽射し

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