キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

梅原猛

梅原猛「日本の深層、縄文・蝦夷文化を探る」日本という島に住む人。初心返り、先祖返り、古層につながろうとする心の動き。

2016/10/28

梅原猛の「日本の深層、縄文・蝦夷文化を探る」は、数か月前、文庫本で購入してから、初めは一気に読み込み、それからアンダーラインを引きながら読み返し、暇があれば、開いて適当に読んだりして、この本がとても気に入っている。どういうところが好きなのかと考えると、まず表紙が好きである。熊の土偶が、すごくいいのである。

土偶であるから簡略化されている、抽象化されているのだが、そのかたちが、この上なく心を惹く。これを創った縄文人は、熊を知ってるなあ、知らずしてこれはつくれんなあ、と感嘆する。素晴らしい出来なのである。熊の土偶の写真だけではなくて、この本における梅原猛のヴィジョン、立ち位置、視野は稀有のものである。理解する力というのは、案外、人は向上しやすいが、理解したことを語る段になると全く語れない、書けないということがあり、理解と表現の間には、大きな壁があり、修養が必要である。この本にあるビジョンを自分のモノにして自由自在に語れるところまでいきたい。理解と表現がそうであるように、体験と智慧の間にも、似ているようで越えなければならない関所がある。体験は誰でも出来る、時に信じられないような体験に導かれることもある。しかし、体験は過ぎ去ってしまう。一体それが何であったのか、言語化し、内側に体系化し、自分のモノにして初めて、智慧として、内的資産として積み上がる。それは内部で発酵し、別の智慧と結びつき、独特な宇宙を創り出す。それは、流星のような直観となり、時に、ビッグバンを起こす。内的宇宙旅行は、時差ぼけと無重力による危険があるが、それに対処出来れば、驚くほど、人間の生活を豊かにする。ブラックホールに巻き込まれないようなハンドルさばきも段々は身についてくる。内的宇宙飛行士のひとりとして、地球は青くなかった、とおどけてみせて、変人扱いされる楽しみの中で、濃い珈琲一杯を報酬として受け取りたいのだ。宇宙から帰ってくると、こんなに脚が細くなってしまって、大変ですよ、今から筋力トレーニングをしないと、HISAの特別施設でね、にやりと悦に入るのもたまには楽しいことだろう。

以前、こういう夢を見たことがある。簡略化するが、わたしは何かの冒険をしていて、色々起こるのだが、何者かがわたしに忠告を授ける。「本当に山に登ろうとしてはいけません。二階のテラスからバスに乗るんですよ」その頃、この忠告の意味を考えたが、よくはわからなかった。色々考えるのだが、曖昧でぼんやりして、どうも腑に落ちなかったのだ。しかし、そういう夢こそ、記憶にしっかりとつながれて、こうして時折思い出す。今では、この夢の言わんとするところもわかるつもりだ。そもそもシンプルなもので、その解釈は既に辿り着いていたものだが、相当に腑に落ちたと言うべきかもしれない。わたしの性質というのは、ひとつのことにじっくり向き合うようなところがある。それはそれで欠点と共に尊重するが、世界と人間について、与えられた時空の中で、はなから、いちからすべてを検証しようとするような暴挙を起こすなということで、既に人類が積み上げた二階から、バスに乗れ、と夢は言うのである。全くあまりにも的を得たことを夢は言ってくるものだと今更ながら驚く。わたしのある傾向を補償しようとして、生命が動いた残像であろう。芸術には全て血統がある。黒澤明が、先人の芸術に深く立脚していたように。それは芸術に限らない。日本文化の深層を理解しようというときに、いちからはじめるのは、一生涯では足りない。優れたバスを見つけて、二階から乗るのはごく当たり前のことだろう。同時に、自らの足で歩むことも同じように大事なことだろう。そのバランスを逸しているとの声が、かつて夢の中にこだましたということだろう。梅原猛の「日本文化の深層」なる著書にまとまったビジョン、彼の優れたメガネによる一種のまとまりは、大変ありがたい。何事も鵜呑みにするタイプではないが、梅原猛に生じる直観とそれに応じた徹底した探究は、わたし自身の内面が欲する方向に限りない恩恵を与える。梅原猛の言うことが全て正しいとは思わない。間違っていることもあるだろう。しかし、正しいか、間違っているか、というのは、誰でもその両端を行き来するもので、それは表面的な部分である。真に大事なのは、正しいか間違っているかという事よりも高次な、一段上のもの、彼の座しているところであり、それが大変素晴らしいのである。世界と人間を見る目の雄大さとでも言おうか、世俗の正しさと間違いに挟まれていない真のインテリジェンスが感じられるとでも言おうか。真実に向かおうとする勇気と言おうか。彼の主観で集まるものの美しさとでも言おうか。この逆のパターンは、いくらでもあるのだが、梅原猛のような人間となるとめっきり少ないように感じる。これが示すのは、どのような知識も技術も、優れた主観、見識なくては全体的なヴィジョンが不可能であるということなのかもしれない。「ああ、あれね、知ってますよ」という人間はいくらでもいる。しかし知っていてもどうにもならない。誰かが発見した成果の果実の名前を知っているということではあるが、その実質を知らないという意味であるからだ。色々知っているのに、それらの物事が有機的につながっていない。それは点の集まりであり、線にも面にもなっていない。まして球体となると遠いというところで、わたし自身の自戒となってきたのでこのへんにしておこうか。うっふん。

日本の深層を知る意味は何だろうか。この日本列島には、自ずから歴史がある。そしてその歴史というのは、わたしたちに連なっている。この島の歴史、積み重なった深層部分を知ることは、わたしたちの内面、魂における深層を知ることになる。深層心身理学とでも言うものをこの島で真に行おうとするのならば、この島の民の古い部分は、そのまま魂の次元における古につながっており、そこに引きつけられるのも当然であろう。初心に返れ、と人は言う。きっとそういうことで、初心は何であったのか、初めの心に返っていこうとする動きが、わたしの中に生じる。わたし個人の初心は、既に遡った。書いたこともある。しかし、わたし個人の初心とは、ユングの言う所の個人的無意識を検証することにあたる。それは、もう十分に取り組んだつもりであるが、それでもなお、まだ浅い、という気がしてきたのだろう、より深層の、古層がある。そこに射程を合わせたとき、自然、この島の古い時代を掴みたいと願う動きが現れた。和魂洋才と言われた。つまり日本の心で、技術的には西洋を導入せよ、とのスローガンであったのだと思う。現代の表層は、確かに西洋化された。その恩恵は素晴らしい。同時に、日本の心が何であったのかが見えにくくなった。しかし、西洋とは異なる何らかの性質が、自らの中にあることは把握出来る。わたしのこの仕事は先人の恩恵を利用して、日本と西洋を対比し整理することによって開始された。それは必要なことであったが、同時に力強さには欠けていた。真に重要な何かを掴んだかというとまだ何か物足りないものがあった。西洋化された空間、個人の権利と裏返しの責任意識がなければ、科学原理を扱うのは大変危険であり、無理な事である。そのような危険が散見された。同時に、日本語を母国語とする以上、やはり深層は西洋化されているとは言えない。大学教育を受けた者ほど、西洋化するが、そうでない者ほどしあわせそうに見えたが、同時に、表層は西洋化されているため、社会適応に困難を起こしている者も多数いた。土壇場になると西洋のメッキがはがれ、はなはだ、日本的な弱さとなって表に現れてくる例。あるいは個性や権利の主張は、和の国では危険視される例もある。はたまた西洋文明もまた行き詰まりに来ており、それは多くの警鐘によって、環境破壊によって、もはや明瞭となってきた。土台となるべき哲学、新時代の魂の立脚地は、アスファルトで固められてしまう。知識や技術や制度は人に必ずしも安心を与えない。信仰と神話が心を安定させる。しかし、一体知ることばかり教えられてきたわたしたちは、一体何を信じているだろう、何を信じることが出来るだろう。ひとつの物語として言えば、この現代というのは、どうも道を一度引き返さねばならない危険な砂漠に迷い込んだ地点に思えてくる。更に古層を理解しなければ、初心に戻れないということだったのだろうか。雑に書くとそうかもしれない。若い男性で、自らのルーツに固執する例をわたしは何度か見た。ある老年の方は、変な人だと笑っていたが、わたしは笑えなかった。わたし自身、ルーツを発掘しようとする意思を感じており、またそれに自然動いているのを認めないわけにはいかなかった。約十年前、わたしは、苗字に由来する家紋のキーホルダーを入手した。それは九州に起源を持っているようだった。武士の出らしいと思って、にやにやしていた。しばらく後で、途中で変更した苗字であり、本来は、サイトウであると親族で言う者があった。元々、神官の家だったと言う。それはそれでにやにやしていた。わたしなりにルーツを探る行動が、自然こういうことにも表れていたのだが、あるとき、そのキーホルダーの家紋部分が、外れて、高い所から落としてしまう。「あ、家紋が」手元には、銀色の輪と部屋の鍵だけが残っていた。そして、そのときに、家紋へのこだわりも同時に消えた。正しく言えば、家紋という層では、満ち足りない自分がいたことに少し前から気付いていたのだろう。そして、家紋が落下し、わたしの手元には、銀色の輪だけが残る。わたしのルーツとして、この輪以上の古層はないだろう。その輪は、生死の輪であり、この星の輪であった。全ての事物の輪であり、それは全体性を現し、同時にひとつだった。一即多、多即一。これ以上ない、最古層には、たどり着いた。わたしなりの神話が、円となって次第に現れてきた。それに至るまでに、下手なイラストを多数書いた。文章を書いた。全て、わたしなりの曼荼羅を創ろうしていたのだと今はわかる。そのときは、わからぬまま、世界の全体像を執拗に探究しなければすまないような心持ちがあり、恐ろしく苦しい日々が続いた。信じるものがない人間が、信じるものを創造しようと、生真面目に取り組まざるを得ないような、愚かな流れが生じ、どうにも出来なかったのだ。長く、辛辣な旅だったが、そういう時期だったのだろう。今では、誇りになっている。まだ掴んだものを充分に表現したことはないし、その種子は成長するだろうが、ともかくわたしの内側に蔵してはいる。わたしが信じることが出来るものを、ついに掴んだのだ。地球に住む人にはなれたのだ。最古層、時間の始まる前を掴み、あとはバスに乗ればいい、西洋と日本の対比、個人的無意識やルーツなどの探求では足りなかった深層にこれから挑んでいけばいい。そのような流れの中で、梅原猛の書籍が、ひとつのバスなのである。今度は、日本という島に住む人になろうと思うのだ。ところで、このような初心返りは、一種の祭りである。思えば、個人的な祝祭を行おうとしていたのだと悟らせられる。祭りは、日常の表層に対して、非日常な深層のものが現れ、表層と深層をつなげる。ハレとケというやつだが、当然、深層には、民族の古い層が出てくる。この梅原猛の「日本の深層」にも出てくるが、かつて東北には蝦夷と呼ばれた民がいた。それは、近畿圏に発祥した大和朝廷に長く服さなかった。蝦夷は、縄文一万年以上の伝統を継承する強固な文化だったのだ。わずか数百年の弥生文化に、そう簡単に同調しないのは人情的にも理的にも当然であろう。その後、朝廷に敗れて支配された後も、祭りの時に、古い民族衣装を女たちは着たがったと言う。これぞ祭り、初心返り、先祖返り、古層につながろうとする心の動きで、わたしはここに強く共感を覚える。正月の餅も、そもそも、それは、どんぐりを粉にして餅にして食べていた縄文文化の先祖返りのようにわたしには自然思われる。伊勢神宮の美しい白木の神社、神道と呼ばれるものは、美しくて心惹かれるが、どうも不可思議で、そのルーツが見えなかったが、それはアイヌが言う、シランパカムイ、白木の神の信仰の響きを宿しているのは当然に思える。現存している祭りや儀式は、単に中国や朝鮮の影響であるとぴっしりと線を引くことなど出来ない。祭りであるからには、深層につながる爆発的な解放があるはずで、表層が縄文文化から離れても、いや離れれば離れるほど、その深層は、祭りのときに噴出してくるだろう。仏教が、日本では死者を送る風習につながって日本化していることも、アイヌがイオマンテで熊や猪の魂を天に送り返す儀式と同形であることを思えば、それは、この島の古来からの伝統だろう。縄文文化は、この島で最も長く続いた文化であり、わたしたちの古層を形成しており、今も、様々なかたちをとって、わたしたちの周りにある。残っている。このことを掴み始めると、少しずつ日本という島に住む人になってくる。そして古層ほど、原始的なエネルギーに満ちており、力強い。それはこの島の深層にあり、わたしの深層にある。これほど、心強いことはないだろう。縄文の民の文化は、世界中の先住民の文化ととても良く似ている。通底している。その実感も、この日本という島の祖先を知れば知るほど生じてきて、地球の上に住む人としてのつながりを強くする。梅原猛の「日本の深層」についてもっと語ろうと思っていたが、終わらない話の途中になってきたので、次回に譲ることにする。

 

-梅原猛