キクチ・ヒサシ

文化と芸術を言祝ぐ『コトバの塔』

聖徳太子

四天王寺散歩(写真)親鸞、空海、聖徳太子と七星剣に想いを馳せて。

2016/07/09

聖徳太子建立、四天王寺は、わたしの好きなお寺です。最澄、空海、親鸞、一遍などが、参篭したことでも知られています。聖徳太子は架空ではないか、との議論が時にされますが、聖徳太子というイメージ元型を、人間が必要としてきたこと、そして、そのイメージが立ち上がり、強固となって、人々に影響を与えてきた事実の方が重要なのでございます。

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『日本書紀』に見る創建の経緯
四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院としては最古のものである。
四天王寺の草創については『日本書紀』に次のように記されている。
用明天皇2年(587年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した。蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河(大阪府東大阪市布施)へ攻め込んだが、敵の物部守屋は稲城(いなき、稲を積んだ砦)を築き、自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦するので、蘇我軍は三たび退却した。聖徳太子こと厩戸皇子(当時14歳)は蘇我氏の軍の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の形を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をした。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。その6年後、推古天皇元年(593年)、聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるためには、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという(なお、蘇我馬子の法興寺は上記の戦いの翌年から造営が始まっており、四天王寺の造営開始はそれから数年後であった)。
以上が『書紀』の記載のあらましである。聖徳太子の草創を伝える寺は近畿地方一円に多数あるが、実際に太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみで、その他は「太子ゆかりの寺」とするのが妥当である。
byWikipedia
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まさに、巨人を現すにふさわしいイメージ、親鸞を仰ぎ見、空海とひもでつながり、聖徳太子の七星剣に想いを馳せる、特別な時間を味わうことができます。名僧たちが、内的宇宙開発を行ってきた足跡、日本の知性たちが時空を超えて集まってきた霊的場、観光地というよりも、民衆に根差してきた雰囲気を感じ取ることの出来る、素晴らしい場所です。大阪の真の中心は、この四天王寺の辺りにあるとわたしは信じます。

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多くの戦没者、天災死者たちの石碑に拝むとき、わたしたちが、一体何の上に、現在の生を営んでいるのかが、再確認され、わたしは、心が洗われて、新しく生まれ変わる気持ちになります。そして、信仰と芸術が一体となっていた時代の遺産は、一流のモノに触れる大事な時間となっています。

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四天王寺、七星剣

小部屋の中心に、石碑に刺さった王の剣があった。これまで何度も引き抜くことを試みてきた、七星剣だった。石碑には、「自然法爾」とある。男は、剣の柄に手をかけ、目を閉じた。息を吐き、深く吸い、繰り返す。思考が消えると共に、全ての恐れが消え、自分がどこにいるのか、何をしているのかを忘れた。没我していき、無心に至るまでの道程で、イメージが湧き上がってくる。小さな木が見えた。光を浴び、雨を吸い込み、幹が太って枝を伸ばし、根を伸ばし、葉をつけていく。早送りの植物動画のように、木は成長を続け、蕾がつき、青い花が咲く。静かだった。無心の極みの中で、手を上に引き上げる。音もなく、剣が石から引き抜かれる。男が剣を強く握ると、北斗七星が刀身に点滅して光った。男は一気に城壁をすり抜け、山の頂上へと飛んだ。
透明な男の手には、剣があった。目の前には、東屋の簡素な屋根の下、黄金の鐘が吊ってある。暗く、岩だらけの山頂には、強い風が吹き、遥か眼下に見える王国には、雨が降り注いでいる。
男は剣を構えた。佐藤、教えてくれ。この鐘をどんな風に鳴らせばいい。叩き方に伝統はあるのか、しきたりは?試験はあるのか、資格は要るのか、経験年数は?マニュアルがあるのか。男の胸で、佐藤の痕跡が笑っていた。好きに叩けばいい、深い心の動くままに、自由に鐘を叩くがいい。わかっているさ。

男は、七星剣を握り、沈黙の中で、それがやってくるのを待ち、心の自然が動いたとき、その振動を剣に託し、そのまま、鐘へと振り落した。剣に稲妻が走り、鐘の音が雷鳴となって、人々の夢の中に響き渡った。剣から弾けた七つの星が、王国に流星群となって飛び散り、その軌道が、新しい太陽がやってくるまでの間、闇を照らし続けた。

「クリスマスに降る夜」 キクチ・ヒサシ

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